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芥川龍之介「羅生門」の解説【下人の直面した倫理的問題】

芥川龍之介の「羅生門」のイメージ画像として和風で朱色の背景

 

この記事では芥川龍之介「羅生門」を、下人の直面した倫理的問題を中心にして解説していきます。

この作品は芥川龍之介が1915年に発表したものです。

今では誰もが知る代表作ですが、発表当初の反響はそれ程でもなかったようです。作者が一躍一流作家として認知されるに至ったきっかけは、実は翌年の「鼻」であったと言われています。

この作品は普通に読んでも楽しめるのですが、倫理や道徳という問題を詳しく考えようとすると、少し話が小難しくもなってきます。

この記事が「羅生門」の問題を整理する上でご参考になれば幸いです。

なお、作者の生涯についてご興味のある方は、以下の記事を併せてご覧下さい。

 

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1. あらすじを簡単に

平安時代のお話です。当時の京都では災いが続き、洛中は荒廃していました。朱雀大路の入り口にある羅生門には、ここに死人を捨てに来る習慣さえできて、暗くなると誰も近寄りません。

その羅生門の石段に腰かけて、下人は夕暮れの雨が止むのを待っていました。

下人は数日前に仕事を失い、生きるためには盗人になるしかないと思いつつ、決心ができないでいました。

下人は寒さを凌ごうとして、羅生門の梯子段を上るのですが、そこでは痩せた老婆が松明を持って、女の死体をじっと見つめていました。下人は恐怖を感じますが、見ていると、老婆は女の髪の毛を抜き始めました。

下人は、先ほどの恐怖も忘れて、老婆の行為を悪として憎む気持ちに駆られました。下人は刀を抜き、老婆の前に立ちはだかり、何をしていたのか問います。

下人が問うと、髪の毛をかつらにしようとしていたのだと、老婆は言いました。生きるためには仕方のないことで、悪いこととは思わないとも言います。

老婆の話を聞く内、下人はついに盗人になる決心ができました。そして、下人は老婆の着物を剥ぎ取って、素早く梯子段を降り、闇の中へと消えていきました。

 

2. 解説:下人の直面した倫理的問題とは?

私たちが「羅生門」を読んで、多くの場合考えることは、果たして下人が最終的に決心したように、生きるためであれば悪を働くことも許されるのであろうか、という倫理的な問題なのではないでしょうか。

私はここで、その可否を論じるわけではないのですが、「羅生門」が、下人の思考と行動を通して、読者にその倫理的問題について考えさせることは間違いないです。この解説では、「羅生門」によって浮かび上がる倫理的問題を整理していきます。

 

①外的な倫理と内的な倫理

当時の平安京は荒廃していたらしく、下人は仕事を失い、稼ぐ手段がないので、生きるためには盗人になるしかない、という結論を、一応導き出したようです。

ただ、実はこの時の下人は、心理的に、絶望的に追い詰められているわけではありません。まだ暇を出されて数日しか経っておらず、肉体的にも余裕があるからなのかもしれませんが、案外平然としています。

下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖(あお)の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰(にきび)を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。

大きな面皰を気にしている、という記述で、読者は下人という存在の現実感、あるいは自分と変わらない平凡さを、ぐっと感じます。下人は「ぼんやり」しているので、絶望的に追い詰められて、自暴自棄に傾いているわけではありません。

また、その日の雨模様が「平安朝の下人のSentimentalismeに影響した」という記述があったり、「云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら(…)」と書いてあったり、下人は、ごく普通に理解できるような心理状態で悩んでいるに過ぎない、と言うこともできます。

なので、下人の直面した問題は、極限状態における善悪の問題とは言えないと結論できます。むしろ、読者は下人の心理を、自分自身をベースにして理解することが可能であると考えられます。

さて、下人が石段に座って何度も繰り返している思考は、以下のようなものです。

どうにもならない事を、どうにかする為には、手段を選んでいる遑はない。選んでいれば、築土(ついじ)の下か、道ばたの土の上で、餓死(うえじに)をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――

選ばないとすれば、盗人になるしかない、と下人は一応考えています。ただ、この時の下人はまだ「さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていた」ような心理状態で、「ぼんやり」していて、結論を出すことを特別急いでいるわけではないと言えます。

下人はこの問題を考えるともなく考えていたのでしょうが、盗人になるという結論は下人にとって直ちに受け入れられるものではなく、「積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいた」ようです。

では、なぜ下人は盗人になる勇気が出ずにいたのでしょうか。

それは、もちろん、盗人になることに対して、倫理的な問題でためらいを感じていたからだと考える他ないのですが、私たちが感じる倫理的な問題は、実は二種類あると整理することができます。外的な倫理と内的な倫理の問題です。

外的な倫理とは、倫理を、自分自身の内面に由来するものというよりは、社会的に課されている価値規範であるとする考え方です。そのような倫理は刑事罰化されていることが多いので、反すれば社会的に罰せられます。

もし、下人が、盗人になって捕まってしまうことを懸念しているのであれば、下人は外的な倫理の問題を中心に考えていることになります。あるいは、何となく駄目かもしれないな、と思っている程度であれば、下人にとってこの問題は外的なものに過ぎないと言えるでしょう。

一方、内的な倫理の問題も、私たちにはあります。それは、ある倫理規範が自分の内面に由来するものであり、あるいは十分に内面化されている場合に、私たちが感じる良心の問題です。

その場合、その倫理規範に違反することは、何か私たちの中にある大事な部分を、決定的に損なってしまうように感じられます。例えば、自分自身が下がるとか、卑しくなるとか、小さくなるとか、そういった感覚です。

もし、下人が自分自身の価値を損なう・損なわないという次元で、盗人になることをためらっているのであれば、下人は内的な倫理の問題で、勇気が出ずにいたのだと考えることができます。

下人が、実際にどちらの次元で逡巡していたのか、これをはっきりさせることは難しいです。どちらを選んでも解釈は成立するので、この辺りは、読者がどのように自分自身を投影するかという問題であるように思われます。

ただ、下人がどちらの次元でためらいを感じていたのかという解釈の問題は、物語の最後の一行、「下人の行方は、誰も知らない。」という結末の部分をどう捉えるかという問題に繋がって来ます。

もし、下人が盗人になるかどうかという問題を、外的な倫理の問題としてしか考えていないのであれば、一度決心がついてしまった以上、下人は他人から物を奪うことにためらいを感じなかったと考えられます。すなわち、下人はどこかで、人知れず盗人として生きていったであろう、と想像できるのです。

実は、芥川はこのような想像をして、作品を書いていたのではないかと思わせる節があります。というのも、新潮文庫の脚注によれば、この結末の部分は元々、「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった。」となっていたらしいのです。

こうはっきり書かれてしまうと、下人はやはり盗人として生きていったのであろう、それも、人を殺しすらしたかもしれない、と考えざるを得ないです。下人は完全な悪人となって、羅生門を立ち去るのです。

一方、下人が内的な倫理の次元で迷っていたのだと考えると、下人が羅生門を立ち去った後の行動も、色々に想像する余地があります。

順番に説明していきますが、そもそも、下人が盗人になる決心をしたのは老婆が女の死体の髪を抜いているところを見て、更に老婆が、自分のしていることを悪いとは思わない、と言ったからです。

しかし、死体の髪を抜く老婆と、他人の着物をひったくる下人のどちらが悪いかと言えば、多くの人が下人の方が悪いと感じるのではないでしょうか。

比べると、老婆は死体の髪を抜いているだけなので、生きている人間に危害を加えないだけでなく、行動の範囲も狭いので、読者にとって、あまり脅威であるとは感じられにくいです。

一方、下人は生きている人間から物を奪うので、読者にとっても、下人が自分たちにとって脅威となり得る人間になってしまったと感じやすいです。誰かが物を奪われることを想像するにしても、感情移入して反発を覚えやすいものです。

このように、事の善悪の判断には、人が(あるいは自分が)危害を加えられるか否かという、具体的な感覚が伴う事が多いので、一概に、老婆も下人も悪であることには変わりないのだから、どちらも同じくらい悪い、とは言えません。

このような感覚で先に進んでいくと、ある意味同類とも言える老婆の着物を剥ぎ取ることと、何の罪もない人間から物を奪うこととでも、何か質の違いがあるように思われてきます。それは、絶対的な倫理という基準からすると不合理なのですが、私たちはそのように感じることが多いです。

そう考えて見ると、下人が老婆の着物を奪ったということは、下人があらゆる場面で盗人になるという決心ができた、ということを必ずしも意味しておらず、例えば、何の罪もない他人の物を盗ろうと試みた時には、やはり良心が咎めて実行できなかった、という可能性も十分にあり得ます。

すなわち、外的な倫理を基準にする限り、下人は一度決心した以上、特別再び迷い始める理由はないのですが、内的な倫理を基準にすると、下人はまたいつでも、良心の問題で迷うことがあり得るわけです。

 

②下人はなぜ決心できたのか?

最後に、下人はなぜ盗人になる決心ができたのかについて考えていきます。

下人は最初、老婆が女の死体の髪を抜いているところを見ると、「あらゆる悪に対する反感」が湧き上がってきたようです。

それが一転して、下人は老婆の着物を奪って闇に消えるのですが、この間の下人の心理はどのように説明できるのでしょうか。

まず理解しなければならないのが、下人の「悪に対する反感」なるものが、必ずしも絶対的な正義の基準に基づいた感情なのではないのだということです。下人が強く感じたのは、そうではなく、女の死体の髪を抜いているみすぼらしい老婆の卑小さに対する侮蔑です。

要するに、正義感というよりは、生理的な嫌悪と考えられます。老婆が死体の髪を抜いている理由を説明し終えた後では、下人は、老婆のいうことが案外平凡なことに失望をすると同時に、「又前の憎悪が、冷な侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た」と説明されています。

絶対的な基準に基づいているわけではないので、下人の心理の変わりやすさも、特別不思議なことではないのだということが分かります。

そして、下人の心変わりにとって決定的だったのは、老婆の答えの平凡さでした。少し長いですが、その平凡な答えを見ておきましょう。

成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪いことかも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、その位な事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯(たてはき)の陣へ売りに住(い)んだわ。

そして、老婆は「わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、餓死をするのじゃて、仕方なくした事であろ。されば、今又、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ」と続けています。

なるほど、非常に平凡であり、こういうことを当たり前のように納得して主張できる心理は卑小であるとも言えます。

下人は、このような老婆の説明を聞いて、盗人になる決心がつきます。それは、下人が老婆の、この平凡さ、卑小さというものを目の前に見、学んで、自分の善悪の感覚を調整してしまったからです。つまり、影響されたわけです。

下人はそもそも、どちらかと言えば盗人になるという結論を下そうとして、とりとめもなく思考していたので、老婆のようなお手本が目の前に現れたことは、むしろ好都合であったと言えるのです。

人間は、良心の問題でもそうですが、立派な気持ちを持ち続けることが、なかなか負担であったりします。なので、丁度よく負担を減らしてくれそうな、自分より低い基準で生きている他人を見た時、その感覚をお手本として受け入れることがあります。

自分を追い詰めてしまうことはよくないので、このような力の抜き方は必ずしも悪いことではないのですが、下人のように、明らかに善悪の問題が関係している時でも、このような心理が働いてしまうことがあります。

もし、老婆がもっと分かりやすい悪人だったのであれば、下人はむしろ、盗人になることは嫌がったかもしれません。しかし、老婆がごく平凡な人間に過ぎないことが分かったので、下人は「そんなものか」と納得してしまったのでしょう。

なので、下人は闇の中に消えますが、罪人としての自覚を伴って、羅生門を立ち去ったとも限りません。人間などこんなものか、くらいにしか感じていない可能性は十分あります。

このように、下人が「ぼんやり」と盗人になることを迷っていたように、下人の罪の問題にも、どこか「ぼんやり」した部分が残ります。

私たちは読者として、下人の倫理的問題を善悪で明確に白黒つけられるもの、と一応想定することが多いです。しかし、「羅生門」が示しているのは、白黒つけることを実は好まない普通の人間の、「ぼんやり」した価値判断なのかもしれません。

 

3. さいごに

以上、芥川龍之介「羅生門」について、下人の直面した倫理的問題を中心にして解説してきました。

私たちは多くの場合、状況を超越した第三者として、絶対的な基準で下人の行動の善悪を考えたくなるものです。

しかし、下人は、実はごく平凡な人間のありふれた可能性を語っているので、盗人になるかどうかはともかく、心理としては案外理解できるものです。

下人の結論にはどこか「ぼんやり」した部分が残りますが、そのことが「羅生門」の独特なリアリティに繋がっているのではないでしょうか。

この記事の解説によって、少しでも新しい発見があったのであれば幸いです。

 

4. 参考文献

芥川龍之介「羅生門」『羅生門・鼻』(新潮文庫)

 

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