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芥川龍之介「開化の良人」の解説&感想【愛のある結婚】

青い薔薇

 

今回は芥川龍之介「開化の良人(おっと)」の解説と感想です。

芥川龍之介の作品には、人間や社会に対するやや毒のある観察が見られることは、この作家の読者に対しては言うまでもないことだと思います。

しかし、この作品には比較的落ち着いた筆致という印象を受けました。

そういう点で、この作品のやや静かで懐古趣味的な雰囲気から得る感慨を良しとする読者もいれば、芥川流の機知を期待して、むしろ物足りなさを感じる読者も、またいることかと想像します。

ただ、大きく取り上げられる作品ではないかもしれませんが、私はこの作品を味わい深いものと感じました。

今回の解説及び感想では、一見して明らかな懐古趣味的な色彩の裏に、ともすれば隠されがちな「愛(アムウル)のある結婚」の悲しさ、孤独に対して迫っていきます。

なお、作者の生涯についてご興味のある方は、以下の記事を併せてご覧下さい。

 

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1. 作品の解説と感想

ある日、主人公の「私」は上野にある現東京国立博物館に足を運びます。この作品が発表されたのは大正八年のことですが、「私」は大正時代を生きる、比較的若い小説家であるかと思われます。

そこで「私」は本多子爵という、半白の口髭を蓄えた男性を発見します。彼らは何らかの会合で一度顔を合わせたことがあったようです。

本多子爵は、今風に言えば顔立ちに格好いいところのある紳士なのですが、その顔にはどこか苦労の陰が見られるような、容易に触れ得ないところのある人物でした。

本多子爵は明治初期の風俗を描いた浮世絵をじっと眺めていたのですが、意外にも主人公に対して好意的にも見える問いかけをしています。

どうです、この銅版画は。築地居留地の図――ですか。図どりが中々巧妙じゃありませんか。その上明暗も相当に面白く出来ているようです。

この問いかけを受けて、主人公は「(その絵の内では)一種の和洋折衷が、明治初期の芸術に特有な、美しい調和を示していた。この調和はそれ以来、永久に我々の芸術から失われた」というように考えます。

これは、明治初期にはまだ西洋の風俗と共存する形で存在していた江戸の風俗が、段々とその姿を消してしまい、幅を利かせた西洋的なものは美しい場合もあるが、単に物質的で無趣味的でもあることを意味している、と言えるでしょうか。

浮世絵は当然、絵師が手掛けるものですが、彼らは江戸時代に培った、江戸的な精神や視点で以って、東京に現れた西洋の風俗を描くわけです。なので、どちらかと言えば主体は江戸的な精神なのですが、そのような精神は次第に失われます。

人にしろ町にしろ、西洋的なものだけが残り、古い精神は失われていくので、明治初期の人間たちによって自然に達成されていた「一種の和洋折衷」は、大正時代にあってはすでに浮世絵の中でしか見られないものになっていたのだと考えられるでしょう。

ちなみに、主人公は本多子爵に対して、「この築地居留地の図は、独り銅版画として興味があるばかりでなく、牡丹(ぼたん)に唐獅子の絵を描いた相乗の人力車や、硝子取りの芸者の写真が開化を誇り合った時代を思い出させるので、一層懐かしみがある」と言っています。

少し後で、「私」は浮世絵から昔を懐かしむ本多子爵に対してある反発を感じて、「一般的な浮世絵の発達」に話題を移そうと試みていたりするのですが、主人公は本多子爵に対して若干張り合っていくところがあるようです。

それはおそらく、知識と自分の趣味に対する、やや頑迷とも言える自意識であると言えるかと思いますが、この辺りの心理描写は芥川龍之介自身を想像させます。

ただ、この作品は決して「私」の心理の動きを詳細に写した主観的な小説ではありませんし、冒頭の懐古趣味的な、やや主張染みた書きぶりが連続していくような、明治初期の風俗に対する作者の意見陳述的な作品でもありません。

すなわち、この作品の真の主人公は、本多子爵が浮世絵をきっかけとして回想する三浦という男なのであり、明治初期の時代における三浦という男の存在の在り方が、この作品では語られていると言えます。

そのため、この作品の懐古趣味は回想に入り込むためのきっかけであり、全体の雰囲気を整えるものに過ぎないと言ってもいいのであって、私が先に、この作品は比較的落ち着いた筆致であると言ったように、作者の趣味的な機知は相当抑制されています。

さて、それでは本多子爵の回想する三浦という男は一体どのような人物だったのでしょうか。

本多子爵もそうですが、三浦もまた、明治初期に洋行を経験した人物でした。西洋に赴いて国家のためになる知識を得ることが目的であるはずですが、行先はドイツ、フランス、アメリカなどがありました。この二人はフランスに学んだようです。

彼らはフランスからの帰りの船で知り合い、それから交際が続いたようですが、人物像を見てみると、本多子爵と三浦は良き友人関係を築けてはいるものの、性格や考え方に何かしら違うところが見られます。

それは、三浦に関して本多子爵が語るところを見ても明らかです。少し長いですが大事な部分ですので引用してみたいと思います。

又一つには彼の性情が、どちらかと言うと唯物的な当時の風潮とは正反対に、人一倍純粋な理想的傾向を帯びていたので、自然と孤独に甘んじるような境涯に置かれてしまったのでしょう。実際模範的な開化の紳士だった三浦が、多少彼の時代と色彩を異にしていたのは、この理想的な性情だけで、ここへ来ると彼は寧(むしろ)、もう一時代前の政治的夢想家に似通っている所があったようです。

この引用から読み取れることは、まず、明治初期の風潮はどちらかと言えば唯物的なものであったということです。例えば、物質的な生産を第一に追求すべきものとして、実業家的な態度を身に着けることが男性として好ましいと考えられていたことなどが思い出されます。

それで言うと、三浦は「純粋な理想的傾向」のある人物で、書斎に閉じこもってもいたようなので、実業家的な利益になる交際を行うような人物でもありません。みなが現実的に利益になり、国家の発展に繋がることを即物的に考える中、三浦はやや夢想家的であったようです。

そんな「多少彼の時代と色彩を異にしていた」三浦は、結婚に関しても理想的な考えを持っていたようです。

明治初期と言えば、まだまだ恋愛結婚というものばかりが尊ばれたわけではありませんでした。結婚は親の計らいや、政治的・経済的利益を考えて行われることが通常であったと言えるでしょう。

ただ、三浦はこの時代にすでに「愛(アムウル)のある結婚」を理想としています。これは一般に考えられる恋愛結婚すら超えて、更に一歩進んだ心持ちである「愛(アムウル)」によって結ばれる結婚であると言えます。

三浦はこのような信念を持って、数ある縁談を断り続けるのですが、ある時、本多子爵も驚いたことに、突然にある女性と結婚します。名前は勝美と言いました。

彼らは偶然にある寺で出会い、お互いに見初め合ったらしいのですが、どちらかと言えば冷静な三浦が、この時は本多子爵へ宛てた手紙の中でも目に見えるように溌剌としていたようです。

しかし、本多子爵が朝鮮の京城(現ソウル)から帰朝し、三浦と再会した時には以前の通り冷静、と言うよりは沈鬱にも見えたので、本多子爵はこれを怪しみました。

この辺りから、作品は若干の緊迫感を伴うようになり、大方の読者の予想する通り、勝美の浮気が三浦が沈鬱である原因ではあるのですが、原因に意外性はないものの、どこか読者を退屈させない書きぶりで、私は作者の創作力を感じました。

さて、この勝美の浮気を通して、三浦の言う「愛(アムウル)」なるものが少しばかり見えてくるように思われます。

三浦はどうやら、結婚して程なく、勝美とその従妹とが恋愛関係にあるらしいことを発見したようです。その従妹は本多子爵の目には品がないと言いますか、好ましい人物には映らなかったようなのですが、三浦は彼らの間に「愛(アムウル)」があるのであれば、それを尊重しなければならないと考えました。

ここに明らかに見て取ることができるのは、一種の利他性でしょう。すなわち、三浦の胸の中にある「愛(アムウル)」とは、相手を燃えるような情熱で求める愛であると言うよりは、思いやりの純化された静かな愛であるように感じられます。

三浦は「抑々(そもそも)僕の愛(アムウル)なるものが、相手にそれだけの熱を起させ得ない程、貧弱なものだったかも知れない」と言っているのですが、押して求めていくよりは引いてしまう三浦の純粋性が、何か悲しく打ち捨てられているような、そのような悲哀を感じることができます。

このような理想は、結婚に関して、自身の胸の内にある不純なものを全て取り除いていった結果であって、求めるよりも与えることだけを純粋に残していったことを意味しているのだと思いますが、その静かな「愛(アムウル)」は、どうやら勝美には響かなかったようです。

というより、このような形の「愛(アムウル)」が男女の間で成立するのは、おそらくは両者の間に同じ「愛(アムウル)」の持ち方が見られる場合のみなのであって、そうでなければ両者互いに寄り添い合い慈しみ合うような共同生活が実現することはないと言えるのでしょう。

そういう意味で、だと思いますが、三浦は勝美と結婚したことを「軽挙」として後悔しているともこぼしています。ただ、三浦は、それでも自身の「愛(アムウル)」に従って、勝美とその従妹との恋愛を「尊重」することにしたのです。

ただ、結局、三浦は勝美に関しても、その従妹に関しても、彼女らの恋愛が純粋なものではないことを知りました。そして、その発見によって、三浦はどうやら肩の荷が下りたように感じたようです。

いくら思いやりの純化された「愛(アムウル)」と言っても、不幸とも言える状況に耐えるためには多少なりとも意地の部分が生じて来るので、その意地から解放されたことが三浦にとってよかったのでしょう、彼らは離縁することになりました。

ここまで見て来た通り、三浦の言う「愛(アムウル)」とは思いやりの純化されたものと言えるのであって、「愛(アムウル)のある結婚」とは、お互いを思いやり合って大切にし、支え合う関係だと言えるでしょう。

それはとても素敵な理想であり、男性優位の家庭観が普通であった明治初期の文脈では到底考えられないようなものであったと言ってよいのではないでしょうか。ただ、三浦自身もそこまでの自己理解があったかどうかは分からず、燃える愛と静かな愛との境には、まだ無自覚であるようにも見えます。

三浦の「愛(アムウル)」の孤独は、神風連に関する、本多子爵と三浦との会話の中に最もよく表れています。

神風連とは熊本の不平士族たちのグループのことです。すなわち、江戸幕府の打倒、王政復古と進み、藩の廃止、廃刀令と、武士という存在が解体されていく中で、誇りと生計を同時に奪われていった旧士族たちの一派が、熊本で反乱を起こしたのです。

彼らは熊本の鎮台(軍事拠点のようなものでしょうか)と県庁を襲いましたが、鎮圧されてしまいます。それでも、神風連の反乱は、各地の不平士族たちを刺激し、その後の各地での反乱に繋がりました。

そのことを、本多子爵は「子供じみた夢」と一蹴しています。本多子爵はごく一般的な明治初期の人物が持っていた精神に基づいて、旧弊な考え方によって、近代化の大事な時期に国家を揺るがすようなことをすることは認められないと考えたのでしょう。

一方で、三浦は神風連に関して、「信ずることに殉ずる」ことに対する同情、ないし共感を示しています。

この時、本多子爵はこの三浦の言葉に対して、それ程のことを思ったわけではないようなのですが、勝美と離縁したことを告げた三浦はこの時の会話を再び持ち出して、

君は昔、神風連が命を賭して争ったものも子供の夢だとけなした事がある。じゃ君の眼から見れば、僕の結婚生活なども――

というように言っています。

結婚前、「愛(アムウル)のある結婚」を語り、数ある縁談を断り続けていた時の三浦と比べると、ずいぶん弱々しい台詞であり、胸を抉られるようでもあります。

ただ、この台詞にたいして、本多子爵は何と言いますか、若干とんちきなことを言っているように私には見えます。

そうだ。やはり子供の夢だったかも知れない。が、今日我々の目標にしている開化も、百年の後になってみたら、やはり同じ子供の夢だろうじゃないか。……

この台詞は、作品の懐古趣味的な雰囲気に併せて拵えられた、言ってしまえば、よくできた台詞なのかもしれませんが、それでも、本多子爵が言いそうな台詞でもあり、異質な自己主張をしているわけではありません。

その辺りは、作者の機知が、少々一読者の高見から言えば、悪さをせず、違和感のない自然な筆の運びができていることを意味するので、私はそのような点でも、この作品を好ましいものと感じます。

ただ、やはりこの、明治初期における、開化のごく一般的な紳士を代表する本多子爵の台詞によって、三浦の孤独が打ち捨てられたままになっていることに、何か悲しみと言えばいいのか、やるせない想いを抱かずにはいられません。

この作品は「開化の良人」という題であり、本多子爵は三浦のことを「模範的な開化の紳士」であったと回想しています。それが、そもそもの誤りであると言うべきなのかもしれません。

というのも、本多子爵も三浦も、共に「開化」を代表する人物だとしても、本多子爵がその洋行の経験を社会的次元に持ち込んだ人物だとすれば、三浦はそれを、個人的な生活に持ち込んだ人物だからです。

明治初期の文脈では、男性はやはり社会的に、実業家的に行動することができることが全てであると考えられていました。本多子爵は良い人物であることは間違いないのですが、そのような一般的思考から離れた人物ではありませんでした。

思いやりの純化された「愛(アムウル)」という理想を抱えた開化の紳士・三浦という人物は、どうも誰にも発見されることなく、明治初期の幽霊として、時代の背後に消えてしまったように思われます。

ただ、作品の最後の一文、「まるで我々自身も、あの硝子戸棚から浮び出た過去の幽霊か何かのように。」という結びを思うと、本多子爵は今になって、真の三浦の姿を感じることができるようになったのかもしれない、と想像することもできます。

いくら友人とは言え、三浦の胸の内に真に迫ることができなければ、「過去の幽霊」への感応などあり得ないでしょうから。

 

2. 参考文献

芥川龍之介「開化の良人」『戯作三昧・一塊の土』(新潮文庫)

 

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