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芥川龍之介「舞踏会」解説&感想【消えゆく花火】

赤と青の花火

 

この記事では、芥川龍之介「舞踏会」の解説と感想を書いていきます。

芥川龍之介の生涯についてご興味のある方は、以下の記事を併せてご覧下さい。

 

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1. 解説と感想

芥川龍之介の作品には<開化物>と総称される、明治時代初期の、いわゆる文明開化の時期を描いた作品があり、「開化の殺人」、「開化の良人」、「舞踏会」がそれに当たります。

今回はその中の「舞踏会」について、内容の解説と感想を書いていきます。

この作品では、鹿鳴館(ろくめいかん)と呼ばれた西洋館で行われた舞踏会に出席することになった、十七歳の令嬢・明子の当時の記憶が語られています。

鹿鳴館は当時の欧化政策の一環で建設された西洋館で、井上馨(かおる)という外務大臣の発案で建てられました。そこには、欧米列強との間に締結されていた、不平等条約の改正交渉を有利にするという思惑がありました。

すなわち、日本の近代化をアピールする役割を持った建物だったのですが、この作品で語られる舞踏会は、その井上馨と夫人とが主催したもので、明治十九年の十一月三日に開催されたものと記載があります。

一応断っておくと、新潮文庫の解説によれば、この舞踏会が実際に催されたのは明治十八年のことだったようです。ただ、重要な点は、この舞踏会が当時現実に催されたものであり、その点で、読者の歴史的興味を引くものであるということでしょう。

この舞踏会が井上夫妻主催のものであることはすでに述べましたが、ここには各国の大使や軍関係者、また日本の皇族や貴族が招待され、のべ千六百人以上もの人たちが集まったようです。

そこに、若き令嬢・明子が臨みます。彼女は当時の公用語であるフランス語や、舞踏の教育は受けていたものの、舞踏会に臨むことは、実はこれが初めてのことでした。そのため、彼女は「愉快なる不安とでも形容すべき」心持ちを感じていたようです。

この一文にすでに、明子という娘の性質がよく表れていると言えます。すなわち、彼女は確かに不安を感じてはいるのですが、その反面、初めての舞踏会を楽しみに構えているところがあるのです。

そこに見られるのは、明子の若い娘らしい利発性と大胆さであり、実際、彼女は父親と共に鹿鳴館に乗り込むやいなや、不安など忘れ去ってしまいます。

ここで描写されるのは明子の姿なのですが、彼女は薔薇色の舞踏服に、水色のリボンを首にかけて、髪には一輪の薔薇を挿していたようです。また、後の場面では同じく薔薇色の靴を履いていたらしいことが書かれています。

彼女のこの全く西洋的な姿格好と、おそらくは、それがある瑞々しさを感じさせる調和を伴っていたので、幅の広い階段ですれ違った中国人の大官や、若い日本人などは、思わず彼女に「呆れたような」視線を向けたようです。

それはつまり、西洋流の舞踏会に臨む明子の姿格好が、全く非の打ちどころのないものだったからなのですが、彼女はこういった、ちょっとした反応を敏感に感じ取り、すぐに不安などは忘れてしまいます。

少し場面が前後しますが、明子がその、中国の大官や若い日本人とすれ違った階段には菊が飾られていて、それはうす紅、濃い黄色、白であったようです。菊は皇室の紋章でもあるのですが、二階の舞踏室にも菊が飾られていて、菊は作品上、この舞踏会を象徴するものでもあります。

ここで、見逃せない一文は、階段を上がり舞踏室に近付くと、そこから陽気な管弦楽の音楽が、「抑え難い幸福の吐息のように」溢れて来たという記述です。

このような表現は、一般的にはそれ程珍しいものではないかもしれませんが、芥川の作品に見られる系統の比喩としては、珍しく条件抜きに温かい一文であると、私は感じました。

実際、この作品には作者の心情としての、舞踏会や登場人物に対する懐疑、嘲笑などが作者視点で語られている箇所は特に見られません。

言い換えれば、作者視点の懐疑主義的な語りでの雰囲気作りが控えられ、明子や、後に登場するフランスの海軍将校という、登場人物から放たれる魅力が、そのまま作品の味わいになっているのです。

そして、その「幸福の吐息」の一文は何よりも、利発で、大胆で、瑞々しく、非の打ちどころのない娘である、明子の新鮮な気持ちを捉えたものと言えます。作者がこの舞踏会を否定的に語らないのは、この明子の理想的な若い娘としての性質を描き切るためであったとも言えるでしょう。

その明子と対比的に描かれるのは井上馨の夫人です。明子自身が、井上夫人の権高な顔立ちに、「一点下品な気」があると、一瞬感じたようです。

実際、井上夫人がどういったお方であったかは分かりませんが、これは明子の若い瑞々しさと、夫人の政治家的な小狡さとの対比であると考えられます。

この舞踏会は井上夫妻の主催であり、そこに招かれている人たちの多くは、老獪そうな井上外相と、その夫人と同類と言える大人たちであるはずです。その中にあって明子の存在は、この舞踏会の華々しさに水分を与えるような役割をしているようです。

その明子に、おそらくは何か新鮮な空気のようなものを感じ取って、近づいて来たのはあるフランスの海軍将校でした。彼は彼女に近付くと、日本風のお辞儀をして、日本語で「一しょに踊っては下さいませんか」と彼女を誘うのでした。

私はこの時点では、この瑞々しい娘である明子に近付いてくる狼(かもしれない)に対して警戒する気持ちを禁じ得ませんでしたが、この海軍将校、なかなかにスマートな男性であり、明子が完璧な娘であれば、彼は完璧な仏紳士でした。

その海軍将校の完璧性と言えば、やはり若い娘に過ぎない明子に対しても丁寧であることは言うまでもありませんが、地位を見せびらかすようなこともなく、何よりも彼のダンスの腕には想像を超えるところがあります。

彼は踊りの途中で明子が疲れてきたらしいことを見て取ると、気遣いをして、上手に踊りを続けたまま、人波をするりと抜けて、踊り疲れた彼女をそのまま椅子に座らせてしまうのでした。なんだか漫画の王子様みたいな人物ですね。

漫画の王子様と違うのは、この踊りが決して恋愛に繋がったわけではないというところでしょうか。この海軍将校にはそのような気持ちがあるわけではありません。この後の場面でも二人は腕組みをしながら時間を過ごすのですが、それは何か、恋愛とは違う心地よさのある時間であったはずです。

さて、この海軍将校は、以上に見た通り完璧な仏紳士と言っていいのですが、と言っても明るく明け透けといった類の人物ではなく、どこか憂いに近い、そんな落ち着きのある男性だったように思われます。

実際、明子と共にアイスクリームの前に立っている場面などでは、パリの舞踏会に行ってみたいと言う彼女に対して、彼は「いえ、巴里(パリ)の舞踏会も全くこれと同じ事です」と答え、「皮肉な微笑の波」を瞳の底に動かすのでした。

このことから、彼は舞踏会というものに対して、何か皮肉な感情を抱いていることは間違いないのですが、かと言って、そのことから彼がこのような俗事に対する嫌悪を感じているといったようには結論できないように思われます。

この海軍将校の心理は、もっと微妙なものであるようです。これは舞踏室の外にあるバルコニーに、腕を組みながら二人でやって来た場面ですが、腕を組みながらも、明子は友人たちと気軽な会話を交わすのでした。

しかし、ふと見ると、この将校は「星月夜」を見上げながら、何か物思いにふけっているらしく見えました。明子が「御国の事を思っていらっしゃるのでしょう」と尋ねてみると、彼は子どものように首を振って見せました。

この「半ば甘えるように」尋ねた明子に対して、子供のように首を振る、二人のやりとりは、実は中々素敵な場面なのだと私は思います。

この将校が子どものように首を振るのは一種の歩み寄りであり、心を開いている証拠なのですが、だからと言って、明子に甘えてもたれているわけではありません。

だから、この首を振るという動作は、親愛の表現でもあり、かつある種の機知でもあるのだと言えるでしょう。子どものように、と言いながら、実はとても大人な仕草だと言えるわけです。いかに彼が明子に対して敬意を持っていたかが分かります。

そして、何を考えているのか「当てて御覧なさい」と彼が言った時、バルコニーに集まっていた人たちの間に一瞬ざわめきが起こります。花火が上がったからです。

二人は「云い合わせたように」話を止めて、夜空を見上げます。すると、赤と青の花火がちょうど、「蜘蛛手に闇を弾きながら」消えようとしているところでした。明子はその時、「殆悲しい気を起こさせる程それ程美しく」感じたようです。

そして、しばらくして、この海軍将校は「優しく」明子の顔を見下ろしながら、教えるような調子で「私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火の事を」と言いました。

この台詞は、あるいは、この舞踏会に明子が出席し、彼女がこの見ず知らずの海軍将校の誘いを受けなければ、あり得なかったかもしれません。それは、色鮮やかに咲き、儚く散っていく「生(ヴィ)」は、明子のような人間の中で、生命を持つからです。

政治的な老獪さを以ってして行われる舞踏会に参加する役者たちは、おそらく、そこでの社交が自身の立場を高め、より一層の利益と地位とを得ることに繋がるものと考えているのでしょう。

すなわち、彼らは舞踏会に実益を求めていて、そうやって得られるもの、後に残るものばかりを考えて、踊りや食事を楽しみながらも、打算的な精神は忘れません。

しかし、一たびバルコニーを離れて、清涼な夜気に触れれば、人間とはどこまでも素肌でしか存在できないものであることが、身に染みてくることでしょう。

もちろん、そう感じるためには、その人間の自然的な心が、俗事に奔走する頭脳や精神にあまり邪魔されていない必要があるかもしれません。

その自然的な心のままに、人間の「生(ヴィ)」に近いところにいる人物が、言うまでもなくその海軍将校と明子なのでした。

ただ、明子はまだ歳も若く、実際にはこの海軍将校に「優しく」教えられる立場ではあったのですが、この二人の出会いを象徴する、蜘蛛手に消えていく赤と青の花火の情景は非常に印象的で、どこか秘密めいた抒情を感じさせます。

また、夜の闇の中で静まり返る針葉樹と、その間から漏れる鬼灯提灯の火、冷ややかな空気と、そこに含まれる苔や落ち葉の匂いなど、読者の感覚を刺激する描写が、このバルコニーでの場面には詰め込まれていて、その印象は非常に豊かです。

そして、尾を引く花火がやがて消えていくように、明子の舞踏会での思い出の回想は幕を閉じます。そして、場面は大正七年の、ある列車の中へと移ります。

今では老婦人となった明子ですが、偶然にも、この列車で知り合いの青年小説家と一緒になります。網棚の上に見えるのは、菊の花束です。これは、この青年が知人へ送るために用意したもののようです。

その花束がきっかけとなって、明子はこの青年に、あの鹿鳴館での舞踏会の回想を聞かせてあげます。どうやら、青年は非常に興味を持って聞いたらしいです。

これは、当然の疑問かもしれません。その青年はふと、明子に、その海軍将校の名前を尋ねます。どうやら、彼は「ジュリアン・ヴィオ」と言ったようです。

すると、青年は興奮を隠せません。その海軍将校が、ピエール・ロティと言う、日本の近代小説家に多大な影響を与えた小説家だったからです。

それに対して、明子は興奮する青年を不思議そうに眺めながら、「いえ、ロティと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴィオと仰有る方でございますよ」と呟くばかりであったと書かれて、作品は閉じられています。

この青年の興奮は、非常に若者らしいもので、無邪気とも言えます。

しかし、明子の回想の主要な部分を成す、蜘蛛手に消える花火の光景と、海軍将校の台詞は、この青年の心中では、「ピエール・ロティ」という名前に上書きされて、忘却されてしまったようです。

明子はあの舞踏会の後も、令嬢として多くの社交の経験を積み、夫人となってからもそうであったことでしょう。しかし、彼女の心の中には、未だにあの時の、悲しい程に美しい花火の光景がありありと浮かんでいるのです。

一方で、青年の心の内を占めるのは「ピエール・ロティ」という名前です。青年は明子の話を興味深く聞いたので、決して何も悪くはないのですが、明子の心情とは若干のずれがあり、彼女は不思議がっているようです。

思い出を語るということは、あるいは、そういうことなのでしょうか。

花火が蜘蛛手に消える中、あの海軍将校が明子に説いた「生(ヴィ)」の教えは、冷たい空気の中に苔と落葉の匂いのするバルコニーに、その姿を隠して、再び発見されることを待っているのかもしれませんね。

 

2. 追記

この作品の抒情性や奥行きは、蜘蛛手に消える花火の場面や、老婦人となった明子が青年の言う「ピエール・ロティ」という名前を知らないといった点から構成されているように思われます。

意外なことに、この作品が最初に発表された時には、老夫人は「ピエール・ロティ」を知っており、自分から説明さえしていたようです。

以下の文章が、初出の際のものです。

存じて居りますとも。Julien Viaudと仰有る方でございました。あなたも御承知でいらつしやいませう。これはあの「御菊夫人」を御書きになった、ピエル・ロティと仰有る方の御本名でございますから。

更に、初出の「舞踏会」に対する広津和郎の批判があり、直接的な原因であるかどうかはともかく、芥川自身何か思うところがあったため、単行本化の際の改変になったものと思われます。

今までの彼の『動き』のない境地から一歩こはれかかつて来た(ママ)いたと思つた芥川氏が『舞踏会』『鼠小僧治郎吉』では、再び前に逆戻りしたと云う感じがする。これではやつぱりもとの芥川龍之介以上一歩も出てはいない。

以上で、「『動き』のない」とは、例えば、小手先の巧みさがあるという意味でしょうか。確かに、初出の際の結末では、何だか上手に説明され過ぎていて、味わいが失われています。

逆に言えば、単行本化の際の改変で、芥川が「舞踏会」を現在の形にしたことには、当時の芥川の文学的な模索の過程が伺えると言えます。

 

3. 参考文献

芥川龍之介「舞踏会」『戯作三昧・一塊の土』(新潮文庫)

海老井英次『日本の作家100人 芥川龍之介 人と文学』(勉誠出版)

 

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