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白樺派・有島武郎の作品「カインの末裔」の解説的感想です。

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1. 有島武郎「カインの末裔」の感想

今回は白樺派の作家・有島武郎の「カインの末裔」を読んだので、その感想を書いていきたい。あらすじと解説を含むため、有島武郎や「カインの末裔」に興味のある読者はぜひご一読されたい。その上で実際にお手に取られても、この記事の内容で満足して頂いても、私としては幸いである。

有島武郎が白樺派と呼ばれるのは、学習院系の雑誌『白樺』の同人として作家活動を始めたからである。『白樺』は武者小路実篤や志賀直哉らと共に1910年に創刊され、関東大震災の年(23年)まで続いた。だが、有島が本格的に創作活動に熱を入れ始めたのは1917年頃からである。それには、前年に妻と父とを失ったことが関係している。

今回の「カインの末裔」は、その1917年に発表されている。「小さき者へ」や「生れ出づる悩み」は翌年の発表であるが、これらを先に読んだ読者は、もしかすると、有島を本格的な形式を備えた小説を書く作家だとは思わないかもしれない。しかし、「カインの末裔」を読んでまず驚かされるのは、この作品が、非常に質の高い短編小説だということなのである。

まず始めに断っておくと、この作品はキリスト教文学なのではない。確かに有島は一時期だがキリスト教会に入会していた。が、「カインの末裔」という題は、有島の信仰ではなく、彼の教養を示すものに留まる。更に言えば、この作品中に「カイン」とか「アベル」という語句は登場しない。この作品は、一人の粗野な農夫が自然にも人間社会にも落ち着く場所を求めることができずに放浪する、その人生の一場面を描いたものなのである。

とはいえ、この作品はやはり旧約聖書におけるカインの物語と無縁ではないから、先にこの物語について説明しておこう。カインは、アダムとイヴの長男である。カインにはアベルという弟がいた。カインは農夫で、アベルは羊飼いなのであるが、神がアベルの捧げものだけを受け取るので、怒ったカインはアベルを殺してしまう。そのため、カインは農耕の生活を取り上げられ、放浪を強いられることになった。

カインの血筋は、アブラハムに連なるものではないが、途絶えているとは書かれていないようなので、その末裔が存在すると想像してもいい。が、有島の作品におけるカインの末裔とは、当然血の繋がりによるものではなく、人間の運命において、放浪の宿命が繰り返し見られることが、作品では問題にされているのである。

主人公は仁右衛門(にんえもん)という農夫である。彼は馬を引きながら、北海道は倶知安(くっちゃん)の辺りにある、K村の農場を目指して歩いていた。仁右衛門は縁故を辿って、そこで小作人になるのである。仁右衛門の後ろからは、妻が赤ん坊をおぶってついてくる。まだ冬の真っただ中ではないが、風が寒い。

農場の事務所に辿り着いたのは、夜であった。仁右衛門は最後には立ち退きを要求されるこの農場での生活を始めた。仁右衛門はこの生活に感謝も安堵もなく、ただ何事も気に入らない様子で腹を立てている。仁右衛門という男は、代わりに言ってやれば、自分がこの程度であることが不服なのである。

仁右衛門という男は、力は有り余っているようだから力仕事には向くが、穏やかではなく野心があるという点では、農夫には向いていないようである。仁右衛門は弱小の小作人で一生を終えるつもりはなく、地主と対等に話せるようになるくらいの想像を膨らませているのであるが、乱暴で、農場の規則を守らないから、次第に人が離れた。

粗野な仁右衛門の乱暴は相当なものである。そもそも、仁右衛門は他人を人間とも思っていないらしく見える。農場の事務所を初めて訪れた時も、そこの者を軽蔑して礼すらしないでいるし、隣家の子どもに乱暴したり、その家の男を殴ったり、事務所の窓ガラスを石で割ったり、全く感心できない人間である。

腹が立つそばから必ず憤りをぶつけているようでは、到底社会生活を円満に送ることはできない。果たして、仁右衛門は農場からの立ち退きを宣告された。仁右衛門は小作料も払わず、畑の使い方も農場の規則に反していたから、それで当然であった。仁右衛門は女に乱暴した疑いが広まる程に厄介者扱いされていた。

それだからといって参るような男では、仁右衛門はないが、彼は決して不動の男なのではない。赤ん坊が赤痢で死んだ時は、まるで何も考えられないようであった。自慢の馬の前足が折れて立てなくなった時もそうであった。そして、しばらく放心すると、仁右衛門は乱暴を始めた。仁右衛門は規則を守らず、ある意味合理的だが、決して頭のいい男ではない。

その仁右衛門の限界がはっきりしたのは、函館にいる農場主の下へ単身乗り込んだ時であった。仁右衛門は直訴して小作料を下げさせ、村人に恩を売って、立ち退きを撤回させようと考えたらしい。しかし、仁右衛門は全く相手にされなかった。「馬鹿」という言葉が耳から離れなかった。仁右衛門は農場主が人間ならば自分は人間ではないように思ったらしい。現実を知ったのである。

その日、仁右衛門は農場の小屋に帰ると、前足の折れた馬を処分して、自ら荷物をまとめて農場を去った。哀れなのは、ただ付いて行くしかない妻である。仁右衛門は自分のやり方を押し通しても何とかなると高を括っていたのだろうが、現実は仁右衛門に甘くはなかった。しかし、そのことを仁右衛門がどれ程感じることができたか、私には分かりようがない。

さて、ここまでの仁右衛門の有様を読んで頂いて、仁右衛門に同情する読者は少ないものと思う。確かに、なるべくしてなった結末に過ぎない。しかし、この作品で語られているのは仁右衛門個人の人格的問題ではないようだ。というのも、仁右衛門のモデルは有島自身なのである。

表向きでは有島は決して粗野ではないから、仁右衛門は、有島の内面の表現であると言える。有島が「カインの末裔」についてどう考えていたか、それが分かる文章が岩波文庫の解説に紹介されているので、一部引用してみよう。

自然という大きな力は、私たちはそれを如何に征服し、如何に共和して行くべきかをはっきりと知る事が出来ないで、常にその間に模索の生活を続けている。(…)ここに一人の自然から今掘り出されたばかりのような男がある。しかも堀出された以上は、それが一人の人間であって、その母胎なる自然と噛み合わなければならない運命を荷うと同時に、人間生活に縁遠い彼は、また人間社会とも嚙み合わなければならない。

なるほど、有島はここで仁右衛門そのものを語っていることが分かる。が、仁右衛門とは有島の分身であるので、ここに語られているのは、ある人間の類型であると考えるべきである。「自然から今掘り出されたばかりのような男」と有島は言っているが、それは荒っぽい腹の中を隠すことのできない、野生の人間のことを言うのであろう。

野生の人間であるから、彼らは社会生活に向かない。温和な友好関係というものを十全に構築できないからである。彼らは荒っぽい腹のままに行動するので、きっかけがあれば何もかも破壊してしまう。その分だけ彼らにはエネルギーがあるが、それが社会的な成功に繋がるかどうかは分からない。

荒っぽい腹の人間には、その荒っぽさがそのまま悲しさでもある。誰にも理解されることなく、受け入れられることもないことを知っているからである。常に怒っているような人間は実は強くはない。彼らは腹の中では怒っているのか、泣いているのか分からないのである。カインの話に戻るが、彼は怒りに任せてアベルを殺しておきながら、神に放浪を強いられると弱気な様子で言っている。

ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。

彼らは自己を制御する能力に欠けているのである。それがそのまま、自己を取り巻く状況を制御する能力の欠陥になっている。しかし、それではいけないのだ。有島の言葉で言えば、私たちは自然を「如何に征服し、如何に共和して行くべきかをはっきりと知る事が出来ないで、常にその間に模索の生活を続けている」からである。怒りは、その模索の生活を台無しにしてしまう。

といって、私はこの作品の主題が「怒りを納めよ」などであるとは思わない。決してそうではない。そうではなく、荒い腹の粗野なエネルギーは、事実人間にあり、その実在を知る者には処理し難い力であり、容易に解決できない問題なのだ、ということが言いたいのである。そうだとすれば、カインの末裔である人間たちは、やはりこの地上での生活において、カインの如き放浪者にならざるを得ないではないか。

我々は様々な理由から自然や社会と調和できない場合がある。その理由が自身の腹の内に渦巻く衝動的なものであり、その衝動が自己と他者とを隔てる、一種の誇りのようなものであるとき、その誇りがかえって調和を妨げることを知れば、我々はやはり悲しく思うものであろう。そして、表向きでは他者を軽蔑しながら、内心では突きつけられた不調和に怯えを感じるのである。

白樺派と言えば理想主義だとか、人道主義だとか言うことに、どれだけの意味があるものか私には分からない。「カインの末裔」を読めば明らかなように、有島は人間や自分自身を見る視点において、相当な現実主義者であるからだ。そこには空理空論的なものは一切存在しない。この厳しい分析家という側面が、有島の作品に対して我々の抱く信頼に繋がっているのであろう。

 

2. 参考文献

有島武郎「カインの末裔」『カインの末裔・クララの出家』(岩波文庫)

有島武郎『小さき者へ・生れ出づる悩み』(新潮文庫)

新日本聖書刊行会『聖書 新改訳』(いのちのことば社)

 

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