1. 読書感想(『50歳からの教養力』)
〇江上剛氏について
1954年、江上剛氏は兵庫県に生まれました。「江上剛」はペンネームです。大学卒業後は第一勧業銀行(現みずほ銀行)に就職し、総会屋事件(1997年)では中心になって事態の収束・改善に努めました。
銀行在職中に『非情銀行』(2002年)で作家デビューを果たし、翌年、49歳で銀行を退職しました。その後、日本振興銀行の経営破綻処理の問題(2010年)に、取締役として取り組みました。
小学生の頃から本を読むことは好きだったようで、父親に頼んで本を買ってきてもらっていました。特に、エドモンド・ヒラリーのエベレスト登頂の物語や、ケネディ大統領の伝記などを面白く読んだことを覚えているそうです。
この頃から俳句や読書感想を書いて投稿していたそうで、高校生の時には、同人誌を作成して、小説や劇を書きました。
高校生の時の読書は、新約聖書、サルトル、カミュ、カフカ、大江健三郎、椎名麟三など、主に実存主義に関係するものであったそうです。
早稲田大学政治経済学部政治学科に進学した江上氏は、『山椒魚』や『黒い雨』で有名な作家・井伏鱒二を訪ねました。
この頃、プーシキン、ツルゲーネフ、チェーホフなどを好んだ井伏の影響で、ドストエフスキーなどのロシア文学を読むようになったそうです。
また、学生時代には新聞社に原稿を送ったり、民俗学研究で集めた昔話や伝説を童話にして、下宿近くの幼稚園にプレゼントしたりもしました。
第一勧業銀行(現みずほ銀行)入社後は業務推進部、人事部、広報部を経て、高田馬場支店、築地支店の支店長を経験しました。
広報部時代に直面した総会屋事件(1997年)は、役員幹部など11名の逮捕者と自殺者を出す大事件でしたが、中心となって事態の収束・改善に臨みました。
これは、株主総会の妨害などの手段によって、不当な利益を得る総会屋に対して、不正に資金供与を行っていたことが発覚した事件で、他に味の素や野村證券などの総会屋事件が知られています。
作家デビュー後、銀行を退職した江上氏でしたが、56歳にして、社外取締役を務めていた日本振興銀行の経営破綻問題に直面し、取締役として問題に取り組みました。
第一勧業銀行の総会屋事件に関しては、後に大蔵省にまで問題が及び、いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件(1998年)」を経て、大蔵省は財務省と金融庁に分かれることになりました。
日本振興銀行の経営破綻では、日本で初めてペイオフ制度が適用されました。経営破綻した銀行への預金1000万円までとその利子を、預金保険法に基づき、政府が保証する制度のことです。
金融界を揺るがす大事件に二度も直面した江上氏ですが、現在も作家として、執筆や講演などの仕事を精力的に行っています。
作品としては、デビュー作の『非情銀行』のような企業小説をはじめとして、『我、弁明せず』(池田成彬)、『成り上がり』(安田善次郎)などの人物評伝を多く発表しています。
〇この本を読んだ理由
私のブログ(Rin's Skyblue Pencil)では、これまで、文学作品の解説(感想)を中心に記事を投稿してきました。
しかし、もっと広く、このブログでは<教養>を扱っていけないだろうかと、私は以前から考えていました。
前回の記事において、すでに、方向性の転換を若干果たしたのですが、今後、更に<教養>を意識して記事を書いていきます。
批評家・小林秀雄の生涯 - Rin's Skyblue Pencil
このブログで<教養>を扱っていく上で、私自身が<教養>についての鮮明なイメージを持っているということは、特に重要であると思われます。
実は、私は<教養>とは<想像力>あるいは、<想像力を養うもの>であると考えているのですが、これは沢山の本を読んでそう思ったわけではないので、まだまだ発展の余地のある考えです。
それが、今回、江上剛氏の『50歳からの教養力』を読んだ理由です。更に言うと、複数の本を参考に読む計画で、一番最初に読んだ本になります。
〇<教養>について
私は、<教養>とは<想像力>であると考えていて、根本的なところでは、この考えは揺るがないと思います。
今回、江上剛氏の『50歳からの教養力』を読んだ理由は、その<教養>のイメージを更に育てていきたいからでした。
ところで、二十代の私が、「50歳からの」と題された本を読んで、何か有益な点があったのでしょうか。
それは、もちろん、ありました。
それだけでなく、私の<教養>のイメージにおいて、致命的に欠けてしまうかもしれなかった部分を補うことが出来ました。
教養とは知識である、という考え方は嫌われる傾向にあると思います。実際、知識はあっても頭が固かったり、人に優しくなかったりする人を、私たちは尊敬することができません。
ただ、私はどちらかと言うと、教養とは知識であるという考えに近いところにいると感じています。
もちろん、経済学、国際政治学、医学、心理学などの理論的な知識で武装して、目の前の人間を切り捨てるような優しさの欠如を、私は教養とは思っていません。
しかし、教養とは<知る>ところから始まるのではないかと思います。<知る>ことによって<想像力>が刺激されて、それが、私たちの<優しさ>や<創造力>の源泉になっていくのです。
私は十九世紀の世界史に興味があります。そのため、例えば、いつかナイチンゲールを扱った記事を書きたいと思っています。
ナイチンゲールはクリミア戦争(1853~56年)の際に戦地に赴き、軍病院の衛生環境を改善して、多くの傷病兵の治療に貢献した女性です。
これくらいのことを知っているということは、博学としては合格でも、博学なだけでは教養ではないと感じることもあると思います。
しかし、これだけの知識でも、それが<想像力>を刺激して、ほんの少しでもポジティブな活力を生み出したのであれば、その知識は<教養>と言えるはずです。
目薬を想像して頂きたいのですが、目薬は、たった一滴の液体が私たちに爽快感を与えてくれるものです。<教養>も同じかもしれません。
すると、<物事をたくさん知っている>という博学的要件は、<教養>の絶対条件ではないと言うこともできそうです。
さて、前置きが長くなりました。私はその、目薬の一滴としての<知識>を重視しているのですが、江上剛氏は「思考」することを重視しています。
私の考え方と、江上氏の考え方とには親和性はあります。が、非企業人の私と、長年銀行でご活躍されてきた江上氏の実践力の違いは明白です。
江上氏の「教養力」は、人間的でありながら、より実践的なものでもあり、江上氏が本書の中でも取り上げる、明治時代の経営者の精神に近い部分があると言うことも可能だと思います。
〇江上剛氏の「教養力」
特に、若い読者が江上剛氏の『50歳からの教養力』を読んで、ごく普通の意味で、著者の教養に圧倒されるかどうかは分かりません。
実は、意外なことに、江上氏は著書の中に、古今東西の知識を盛り沢山に詰め込んでいるわけではないのです。
そうではなく、多くの部分では、銀行に勤務されていた時代に直面した問題、問題に直面して考えたこと、そして実行したことを振り返っています。
私は<教養>について考えるにあたって、池上彰氏の著作も読む計画でいます。池上氏は基本的に、歴史、地理、哲学などに関する知識を基盤として、自立的に思考できることを重要と考えているのではないかと思います。
思考を重視する点は江上氏と同じですが、池上氏からは、より博識を要求される部分があるようにも感じます。
一方、江上氏の「思考」に必要なものは、もっとシンプルです。
江上氏は「50歳からの教養力」を、「哲学すること」と位置付けています。「哲学」と言うと、ソクラテスやプラトン的な意味での哲学なのかと思ってしまいますが、江上氏の言う「哲学」は全く違います。
江上氏は「哲学すること」について、以下のように述べています。
それは日々、何かを思考するということです。仕事、友情、人間関係、両親のこと、スーパーの売り出しなど、日常に起きるいろいろなことの意味、役割、影響など、どんなことでもいいと思います。
以上から、少なくとも本書では、著者は政治・経済よりも、より日常的な場面を生きる際の「教養力」に注目していることが分かります。
ここで、より日常的な場面とは、人生の節目や転機に起こる出来事のことでもあるでしょうし、著者の関心からすると、仕事や社会における人間関係や出来事のことであると言えます。
江上氏は「教養力」を「生きる力」と言い換えています。すなわち、仕事を含め、日常を主体的に生きていくための力を「教養力」と位置付けるのです。
また、著者は「思考の習慣化」を「哲学すること」だと言っています。
思考を習慣化する利点は複数上げられると思います。危機に予め備えたり、不測の事態に直面した時に参考にする考え方に対して、更に一歩引いて、相対化して吟味することができたり、様々な場合を考えることができます。
しかし、やはり本質的に重要なことは、普段から思考を習慣化することによって、自分の考えで行動し、成功したり失敗したりしながら、自分で自分自身の舵取りをしていくことだと思います。
すると、著者は一方では、日々思考する中で生産され、深められた考えの蓄積を重視しているのですが、それ以上に重要であるのは、何か物事を考える上での、根本的な原理原則のようなものだと言えます。
原理原則と言うと、悪い意味では、(江上氏の言葉で)「教条主義」を想像されるかもしれませんが、江上氏の原理原則は、恥のない行動をするとか、人間のことを大切にするとかいった、とても人間的なものです。
日々思考していれば、不測の事態が起こった時にも有利に行動できることは確かだと思いますが、全ての場合に備えることは不可能です。
連続して不測の事態に直面した時、迷ったり、意気消沈したりする時間を減らすためには、より根本的な部分で、自分が従っている信条のようなものが重要になってくると想像できます。
江上氏の深い部分に根ざしている、そういったより根本的な知恵は、「良き教師」であった母親の教えや、大学時代にお世話になった井伏鱒二の言葉であったと、江上氏は振り返っています。
仕事に関しても、政治や経済に関しても、これらは人間との関係を無視して思考することはできません。関係する人間への影響を無視して、悪い意味で、学問的理論や職場のルールに従うことは「教条主義」と言えます。
一方、江上氏は母親や井伏鱒二から、人間に対する考え方を学びました。それが、江上氏の力となっているのだと思います。
江上氏は、今まで出会った人の中で最も「教養力」があったのは母親だったと言っています。それは、いわゆる博識な人という意味ではなくて、自分の信条や感性で思考する習慣があって、「生きる力」が大きかった人のことです。
それを、私は<人間力>と捉えました。自分で判断し、生きていく力の強い、私たちには頼もしく感じられるような、そんな人が持っている力です。江上氏は、まさにそのような人物だと感じました。
江上氏は人生において、東京地検が関わってくるような大事件に二度も直面し、誰にも真似できないような働きをしました。
しかも、それが人間を大切にするとか、銀行をもっと良くしたいといった、とてもシンプルな気持ちに支えられていたことには驚かされます。
シンプルだから物足りないと感じることもあると思います。もしかすると、それは、自分がまだ、誰かの真似をしようとして、色々な考え方を探しているに過ぎないからなのかもしれません。
実際、江上氏の『50歳からの教養力』を読んで、読者に求められていることがあるとすれば、それは江上氏を真似することではありません。
そうではなく、重要なことは、自分自身の人生を振り返ってみて、自分自身の原理原則を探してみることです。
私は江上氏のように、勤めている会社の危機に直面して、頑張るという言葉を超える以上に頑張って働くなんて絶対に嫌ですし、私の持っている倫理観に、会社のためという方向性は全くありません。
だからと言って、私の感じ方が江上氏のそれより劣っているとは思いません。劣っているのであれば、私は江上氏にならなけばいけないことになってしまいます。優劣の問題にしてはいけないのです。
そうではなく、自分はこんな考え方や気持ちになら、喜んで従っていけそうだ、という一人一人の発見が重要です。
江上氏のような<人間力>の巨人には、やはり圧倒される部分はあるのですが、自分が従いたい考え方や気持ちは、人それぞれ、何だっていいのだということを、読者は忘れないようにしなければなりません。
これは、批評家の小林秀雄がどこかで言っていたことと記憶していますが、小林が本居宣長を好むのは、宣長が大学者ではなく、ごく平凡な小人として源氏物語を読んで、学問をしたからだそうです。
すなわち、大きくも小さくもない、ありのままの自分から始まる教養こそが、実は一番尊いのであって、博識や理論的知性を誇る必要はないのです。
そして、江上氏の言う<教養力>とは、得るものではなく、すでに得ているものと言えます。「50歳からの教養力」としては、相応しい考え方であると私は(若者の私が言うのも恐縮ですが)思います。
〇江上流の実践主義
江上氏の『50歳からの教養力』の内容は、とても具体的で実践的です。
著者は「教養力」について、理論的に述べているのではなくて、それを「知力」、「胆力」、「体力」、「ユーモア力」、「取捨選択力」に分けて述べています。
私のように、「教養とは何か」という問いの周辺に興味関心がある読者には、その構成は多少分かり難いかもしれません。
著者は各講で、どんな問題に、どんな考えや気持ちを持って取り組んだのか、取り組んでみて、どんな発見があったのかについて書いています。
ここで、「教養力」とは著者の考え方と気持ち、そして行動する意志であると言っていいと思います。
江上氏は銀行時代、総会屋事件という大事件に直面しただけではなく、不良債権の多い難しい支店経営など、様々な改革を実行し、成功させてきました。
江上氏は、自分では失敗もあったと言っているようでしたが、人から見れば、普通は実現できないような成功を、いくつも成し遂げています。
その成功の背景にあるのは、江上氏の考え方と気持ちでした。それを、そのまま示すことが、すなわち「教養力」について語るということなのでしょう。それはまさに、問題解決のための「生きる力」なのでした。
話が抽象的になってしまうので、一つだけ、江上氏の実践エピソードをご紹介しておきたいと思います(第四部「ユーモア力」)。
江上氏は総会屋事件で問題の収束・改善に努めるのですが、役員や上司にも、おかしいことはおかしいと言い続けたためか、本部から支店へと移されました。
初めて支店長を経験した支店は、高田馬場でした。ここは、当時不良債権が多かったらしく、困難な経営が予想されました。
そこで、江上氏は江上流の実践主義(私が勝手に言っている)を発揮しました。支店長である江上氏は残業をなくし、会議を月一回一時間だけにし、メンバーに公私の目標をイメージしてもらうことで、支店全員のやる気を高めました。
なんだそれだけのこと、と思うかもしれませんが、当時の状況は、仕事量が多すぎて残業は宿命に思われていましたし、会議は毎日何時間もする習慣、日々の業務をこなすのに精一杯で、目標など立てようもなかったのでした。
そして、これは特に大胆なことですが、本社から課せられる支店の目標があるにも関わらず、支店長・江上氏は、支店内のノルマを廃止しました。
これは、普通には出来ないことだと思うのですが、更に驚くべきことに、この改革の前提にあった江上氏の考えは、働いているメンバーが楽しければ、自分も楽しいし、会社も楽しいはずというものなのでした。
実際には、もっと色々考えた上での結論であったとは思うのですが、その発想に辿りつくだけではなく、実際に実行して、しかも、高田馬場支店はその年、全店一番の成長を達成するという大成果をあげました。
私のような非企業人には扱いようもない、絶妙な運営術で、江上氏という「オーケストラの指揮者」があってこその改善であったと思います。
最近の企業は、大企業を中心として、社員のやりがいが会社の利益に繋がると考えていますので、「やりがい→業績拡大」のような図がパワーポイント化されていたりしていることが普通にあります。
しかし、「やりがい→業績拡大」の図を頭に入れているだけでは、江上氏流の実践主義には不思議とならないのが実情です。これは、人間を相手に取り組んでいくことの難しさを表していると思います。
一見、江上氏は何でも成功させてしまうようにも見えるのですが、実際は小さな失敗を沢山修正しながら、「哲学」(「思考」)し続けてきた経験が成せる業だったのかもしれません。
すでに述べたように、私たちが喜んで従える考え方や気持ちは人それぞれ異なっていてよいと思うのですが、一方、私たちは多くの場面で、他の人間に関係する活動を営んでいるものです。
顧客や社員のことを第一に考えるということは、出来そうでいて、短期的な利益などを考えると揺らいでしまうこともあると思います。ただ、江上氏という人物は、人を大切にすることによって、様々な場面で成果をあげることができました。
これは「やりがい→業績拡大」のような理論なのではなくて、人間の不思議の一つと言った方がいいかもしれません。その不思議によく注目していること、それが「思考の習慣化」の一つの方向性と言えると思います。
2. 参考図書
江上剛『50歳からの教養力』(ベスト新書)