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坂口安吾「外套と青空」の感想

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今回は坂口安吾「外套と青空」の感想です。

坂口安吾と言えば「堕落論」や「日本文化私観」などのエッセイの方が読まれているかもしれませんが、一応強調しておくと、彼は小説家です。

何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、学生の時の私はエッセイの方が面白くて、彼の小説の方には全く興味を持ちませんでした。

小説の方の代表作と言えば、言うまでもなく「白痴」ですが、もし、あなたがまだ坂口安吾の小説に関しては未読と言うのであれば、まずは「白痴」を読んでみて下さい。

あるいは、今回取り上げる「外套と青空」を読んでみて下さい。

代表作以外は小粒、と思ってしまうのが読者の性かとは思いますが、「外套と青空」に込められている作者の筆力は「白痴」にそれ程劣っているとは思えません。

この作品を読めば、読者は「坂口安吾はやはり小説家である」と納得することができるだろうと思います。

 

1. 坂口安吾「外套と青空」の感想

ここしばらく、読書はしても小説は読まない日々が続いてしまい、ブログの更新も滞ってしまっていたのですが、久しぶりに何か読みたいと思い、何となく坂口安吾の短編集を手に取りました。

本当に何を読んでもいい気分だったのですが、タイトルの「外套と青空」という響きに惹かれて読み始めました。何だか素敵な響きですよね。

実際は、このタイトルにある「外套」と「青空」という言葉が何を意味しているのかと言うと、作品の主人公である落合太平の、キミ子という元芸者の女との肉体関係の思い出を暗示しています。

思い出と言うとのほほんとしていますが、太平はキミ子との肉体関係を低俗なものだと思い苦悩しているので、頭にこべりついた鮮烈な映像、嫌悪と情欲を同時に掻き立てる誘惑的なイメージなのです。

つまり、キミ子とした時、彼女が外套を脱がなかった、キミ子と青空の下でした、ということです。

肉体関係を持つ場面において、外套を脱がないとか、青空の下で、というシチュエーションは分かりやすく情欲をそそるイメージです。ただ、分かりやすいだけに、ともすれば卑俗でもあるシチュエーションです。

外套!青空!安吾は偉い!とは必ずしもならないのが文学の世界だと思いますし、そもそも、これは官能小説ではありません。

これらの言葉で可愛い女の子を想像する読者はとても健全だと思うのですが、太平はちっともキミ子を可愛いとは思っていません。

といっても、別にキミ子が不美人であったわけではなく、元芸者なだけあって動きに見るべきところはあっても、性根ががさつと言いますか、精神性のようなものが見られなかったところに、どうしても愛情を抱くことができなかったようです。

ちなみに、キミ子というのはフリーの女の子なのではなく、太平の友人の生方庄吉の妻です。太平は別にキミ子には興味がなかったのですが、思いがけずキミ子に誘われたことでコロッといきます。でも、別に惚れたわけでもないようです。

キミ子とは色々あるのですが、彼女との関係から解放された太平は「低俗な魂への憎しみ」を感じています。また、「心の高まる何物もない女への否定」という言葉も見られます。太平はなかなか言いますね。

要するに、キミ子との関係は恋愛とか愛とかそういうことではなく、ただただ暗い情欲に支配されていただけなのだというのが太平の感じ方だったわけです。どうやら、彼は彼女との関係を雌犬と雄犬の関係のように感じていたようです。

その辺りは性の嗜好次第では問題がなさそうにも思いますが、太平はどうしても嫌だったようですね。それで、キミ子が憎い。でもキミ子という肉体を失うことも嫌だ、と太平は思っています。

そう言うと、太平はどうしようもないスケベのクズみたいな感じもしてきますが、この作品の中での位置づけでは、太平はマトモです。ちなみに、キミ子の夫の庄吉もマトモです。

この作品において、表現が難しいのですが、魂の腐敗臭のしそうな人間たちは、太平以外の庄吉の友人たちです。何人かいるのですが、この人たちと比べると、太平が頽廃に近い関係をキミ子と持ちながら、いかに真実に近い魂を持っているか、ということがこの作品の語らんとするところだと言えると思います。

この友人たちの唾棄すべき特徴は、文化的観念に酔って生きているところです。簡単に言えば知的で文化的な自分をきどっているということです。そして、低俗な遊び人みたいなところがあります。

例えば、舟木という人物がいます。彼は彼の目から見て精神的な粋に欠ける太平のことが嫌いなのですが、そんな高尚で洗練された彼は、引っかけているピアノのお弟子さんとやらに関して、

あんな小娘は厭さ。右を向けといえば右を向くんだよ。いっしょに芝居を見に行ったんだ。芝居を見ながら話しかけると、俯向いて返事をするんだぜ。髪の毛で芝居が見えやしないにさ。僕は小娘は嫌いだね。

そんなことを言っています。ちなみに、太平はキミ子のことを心の中ではめちゃくちゃに言っていますが、そんな彼女への不満を知的じみた形で誰かに話したりは一度もしていません。心の中で思っているだけです。

頭の中が偉い人間は酔っ払いみたいなもので、目の前の人間を感じた通りに見ることができません。見たいように見て、勝手に下らないことを言うのですが、そんなことを言うことで益々偉くなっていくので真実の世界からは離れていきます。

舟木は太平に対してこんなことも言っています。

ところが僕はすべて化粧の施されない世界を軽蔑と同時に憎んでもいる。一つの小さな言葉ですら常に化粧を施して語られたいということを切実に希っているのさ。

ここだけ抜き取ると、何だか知的でエレガントな考え方のような気がしますし、私もこの考え方は嫌いではありません。ただ、ここで化粧とは感性であり品なのですが、舟木という人物は結局、教養がある風の、そこら変の男の品性と変わりません。

坂口安吾の作品はデカダン文学と言われ、戦後の世相を捉えた頽廃的な作品であると考えられています。ただ、坂口安吾の作品は頽廃をありのままで、という単純な私小説なのではなく、退廃を描くことで、今回の作品では太平という人物を通して、退廃という地点において見える何か光るもの、というものを作者は模索しているのだと私は思っています。

だから、太平という人物は、キミ子との関係に苦悩して、どこにも出口がなさそうに見えるのですが、彼は舟木たちのように、「遊び」という観念によって遊ぶような文化的な子どもではありません。

彼はキミ子という女に誘われて、魂がフラフラっと動いてしまうような男で、馬鹿だと思う読者もいるかもしれませんが、そもそも何かに魂が動くような人物を通してでなければ、私たちは人間の幸福というものを想像することができません。

ただ、やはり太平も時代の男のようで、キミ子と見つめ合った時「死のうか」なんてことを言っています。それに対して、キミ子が予想以上の熱量で「死にましょうよ」と言ってきたので、太平は冷静になっていますが、そもそも太平は女と死にたいとか思っていたのではなく、何となく雰囲気で会話したかったのでしょうね。

この辺りはどうでもいいことのようですが、太平のキミ子に対する嫌悪は、結局は太平の気取りの部分が大きいと私は思っています。

つまり、太平という男は恋愛と言うものを、本能とか衝動とか、そういったものとは切り離して、何となく自分に相応しい男女関係という観念を、漠然と持っているのだと言うことです。

恋愛とは本能さ衝動さと平気で人に言うような男はやはり信用がならず、気持ちが悪いものですが、それにも関わらず、愛情と本能衝動とは切り離すことができないものでもあり、欲求が愛情に熱を吹き込むことを認めざるを得ません。

太平はキミ子との関係を低俗なものとして嫌悪し、情欲に支配される自分を客観視しながらも抜け出せませんでしたが、彼がキミ子に愛情を持てなかったのは、それはキミ子が卑俗な女だったからとか、関係性が低俗だったからとか、そんなことではないのではないかと私は思います。

つまり、太平は恋愛することができなかった。それは、女の責任なのではなく、自分の気持ちを楽しめなかった太平自身の責任だと思います。

そもそも、太平という男の子(おじさんです)は、外套着っぱなしとか、良く晴れた青空の下でとか、そんな状況下にあるキミ子をたぶん可愛いと感じつつ、色々理由をつけて、これは暗い情欲に過ぎない、と思い続けます。

しかし、可愛がる気持ちに蓋をしているのだから、暗い情欲に過ぎなく感じてくるのは当然なのではないでしょうか。太平が恋愛できなかったのは、女の子を可愛いと思い切る勇気のなかった捻くれ根性のおかげなのでしょうね。

そもそも、知識人だろうが何だろうが、女の子を可愛いと思えない男が何だと言うのだろうと私は思います。たったそれだけのことができずに、苦悩や頽廃という人生を思いつめているように思われなくもありません。

その関係が恋愛になるかどうかは自分次第です。つまり、愛情を持ち得るかどうか。その持ち得るかどうかということは、女の子の方に必ずしも責任があるわけではありません。その前に、自分の心を見直してみる必要があるでしょう。

女の子を可愛いと思えない男は恋愛できません。愛情が分からないからです。愛情に吹き込むべき熱を持ち得ないからです。女の子を可愛いと思えなければ、自然な思いやりを抱く事もできません。暗い情欲だなんて泣き言じゃないのでしょうか。

太平、勉強になりましたか。

 

2. 参考文献

坂口安吾「外套と青空」『白痴』(新潮文庫)

 

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