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芥川龍之介「戯作三昧」解説&感想

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今回は芥川龍之介「戯作三昧」の解説と感想です。

作者の生涯についてご興味のある方は、以下の記事を併せてご覧下さい。

 

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1. 解説&感想(「戯作三昧」)

この作品は、江戸時代の戯作者・滝沢馬琴のある一日を語ったものです。正確には「天保二年九月」とあります。つまり、西暦1831年のことです。

戯作というのは、江戸時代後期の俗文学全般のことで、読本などが含まれます。作中に出て来る馬琴の作品『南総里見八犬伝』は読本で、簡単に言えば、読本とは長編小説のことです。

作品の題は「戯作三昧」で、滝沢馬琴の執筆における「三昧」の境地について語る目的であったと思いますが、最後の「三昧」の場面に至るまでの馬琴は、どうやら執筆の調子が上がらないようです。

この作品は芥川初期のもので、1917年に発表されています。なお、翌1918年には「地獄変」が発表されています。

芸術至上主義の立場を表明した翌年の「地獄変」と同じく、この作品では芥川の芸術観が述べられているものと考えられています。

しかし、読んでみると、「戯作三昧」のほとんどの部分では、芸術観というより、「下等」な世間への反感が述べられているようです。

作品の最初の部分では、江戸神田同朋町の銭湯・松の湯で、馬琴は二人の人物に煩わされることになります。なお、この時馬琴は65歳、神田同朋町に居住し、戯作者として最も勢いがあった頃合いだそうです。

銭湯で最初に声をかけてきた男は、おそらく商人でしょう。馬琴とは面識のある人物であるようです。戯作者としての馬琴を尊敬しているようで、比較的腰の低い、人は悪くないと言えます。

しかし、馬琴ほどの戯作者であれば発句や歌も詠めるだろうという予想が当たったらしいことに対して、「こう睨んだ手前の眼光は、やっぱり大したものでございますな。これはとんだ手前味噌になりました」などと言っています。

だからどうした、ということでもないのですが、よく言えば無邪気、悪く言えば精神に軽いところがあるような台詞で、馬琴が相手をする程の者ではないと言っても言い過ぎではないでしょう。

この商人に話しかけられる前の馬琴は、銭湯の窓から外の景色を見て、「死」の影を見てすらいます。それは「静ながら慕わしい、安らかな寂滅の意識」で、「一切の塵労を脱して、その『死』の中に眠ることが出来たならば」とまで言っています。

銭湯で取るに足らない商人に話しかけられることなども、言ってしまえば「塵労」の一つに過ぎません。どうやら、馬琴は生活にも執筆にも疲労を感じているようで、そのために芸術的勢いも失っているようにすら見えます。

湯舟に浸かりながら、馬琴を酷評する眇めの男などはもっと性質が悪く、何の権威があって言うのか分かりませんが、馬琴の作品は『水滸伝』や山東京伝の二番煎じに過ぎないなどと、わざと聞こえるように語っています。

馬琴は不快に感じたようで、銭湯から出ると、「己を不快にするものは、まだ外にもある。それは己があの眇と、対抗するような位置に置かれたと云う事だ」などと考えています。

その具体的意味は、もう少し後の場面で語られているように思われます。以下の部分は芥川の芸術観の表明とは言えませんが、俗世間に対する嫌悪感を率直に表明している部分として注目できます。

彼は、この自然と対照させて、今更のように世間の下等さを思出した。下等な世間に住む人間の不幸は、その下等さに煩わされて、自分も亦下等な言動を、余儀なくさせられる所にある。

これによれば、銭湯で馬琴を酷評していた眇めの男などに関わると、馬琴の方まで下等な言動を強いられる、ということになるでしょう。

ここで、遡って注目されるのは、馬琴が湯舟の中で、「彼が描こうとする小説の場景の一つを、思い浮べるともなく思い浮べた」という部分です。

芥川によれば、「馬琴の空想には、昔から羅曼的(ロマンティク)な傾向がある」そうなのですが、芸術的な能力の根本は想像力であると思います。

ある意味、眇めの男と馬琴とを分けるものは、この想像力の如何であるように思われるのですが、それは言動に具体的に表れるというよりは、物腰などの微妙なところに表れるものと思います。

実際、馬琴は渡辺崋山の訪問だけは快く感じているようで、それは、彼らが互いに芸術家であることを認め合い、お互いに心地よい間合いというものを弁えているからなのでしょう。

反対に言えば、それができない程度の人物は、明確に、馬琴にとっては下等な世間に属する人物に過ぎません。中々過激ですが、芥川が世間に対してどれ程の敵意を感じていたのかがよく分かるようです。

話が少し戻りますが、馬琴は少々、疲労を感じているようです。「自分は生活に疲れているばかりではない。何十年来、絶え間ない創作の苦しみにも、疲れている。......」という一文すら見られます。

その反面、馬琴は創作に対しての熱意も忘れてはいません。例えば、以下のような部分を発見することができます。

しかし、眇がどんな悪評を立てようとも、それは精々、己を不快にさせる位だ。いくら鳶が鳴いたからと云って、天日の歩みが止まるものではない。己の八犬伝は必ず完成するだろう。そうしてその時は、日本が古今に比倫のない大伝奇を持つ時だ。

馬琴は「天日の歩みが止まるものではない」とか、「日本が古今に比倫のない大伝奇を持つ時だ」などと言って、気負いを見せています。

しかし、先ほど指摘した生活や創作上の疲労を考えると、これらの言葉からも、馬琴の重たい足取りが感じられるように思われます。

さて、発句や歌がどうのという商人や、眇めの男、作品の催促に来た和泉屋などの相手はまさに「塵労」であって、馬琴の創作には邪魔にしかなりませんでした。

しかし、同じ芸術家である渡辺崋山の訪問は、馬琴を多少活気づけました。

とはいえ、先ほどから当たり前のように「芸術」と言っていますが、馬琴にとって「芸術」とは一体何なのでしょう。

それが中々難しい問題で、馬琴は戯作を第一に、「先王の道」の芸術的表現であると考えているようなのです。聖代を芸術的に美化したものと言えるでしょうか。

あるいは、戯作とは勧善懲悪の思想を普及させるためのもの、と馬琴は考えているようです。現代人には、少し分かり難い考え方だと思います。

しかし、ここで問題になるのは、例えば『水滸伝』を読んだ時などに刺激される馬琴の芸術的想像力とでも言うべきものは、「先王の道」という表現の形式から逸脱する部分があるということです。

この辺りの記述は分かりやすく整理されているとは言い難く、馬琴の「芸術」とは一体何なのかという問題に答えるには足りません。

が、おそらく、芥川は馬琴の芸術的想像力を認めていたからこそ、この作品で馬琴を特に取り上げたでしょう。その芸術的想像力こそが、馬琴と芥川を繋ぐ糸であるはずだからです。

さて、ここまでの解説では、主に馬琴が如何に強く世間を「下等」と思っていたのかについて述べてきましたが、最後に馬琴を「戯作三昧」の境地に誘ったのは、驚くことに孫の悪戯でした。

すなわち、仏参から帰ってきた孫が、馬琴はもっと偉くのだから、よく辛抱するようにと観音様に言ってもらったと言うのですが、不思議な話ながら、馬琴は何か感じるものがあったようです。

その日の夜、馬琴は「戯作三昧」の境地に至りました。どうやら、それは初めてのことではなかったようで、熱中しながらも冷静に、馬琴は今この瞬間にしか書けないものがあるという意気込みで、筆を動かし続けました。

この作品で一番興味深いと私が思ったのは、作品の最後の部分です。そこでは、馬琴の妻が、いかにも馬琴の創作に理解がない様子で「困り者だよ。碌なお金にもならないのにさ」などと言っています。

その後に続く文章が、中々よい雰囲気を出していると思いました。

お百はこう云って、倅と嫁とを見た。宗伯は聞こえないふりをして、答えない。お路も黙って、針を運びつづけた。蟋蟀はここでも、書斎でも、変りなく秋を鳴きつくしている。

ここに、馬琴の創作と、「地獄変」の良秀の創作との違いが見て取れます。

良秀は芸術以外の全てを犠牲にする勢いで、まさに独尊の意気込みでした。しかし、馬琴はどうも、息子やその嫁、あるいは蟋蟀にまで、見守られながら創作の人生を送っているように読めます。

私は江戸の戯作文学には不案内なので、多くのことは分かりません。しかし、このどこか穏やかな結びの調子に、芥川の江戸戯作文学観が込められているのかもしれないと想像できて、興味深いと思いました。

 

2. 参考図書

芥川龍之介「戯作三昧」『戯作三昧・一塊の土』(新潮文庫)

 

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