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カフカ「判決」の解説【不条理ではない】【ゲオルク批判】

カフカの故郷・チェコの橋

 

この記事ではカフカ「判決」を解説していきます。

この作品は童話的な曖昧さもあり、解釈が難しいことは言うまでもありませんが、主人公のゲオルクという人間について詳しく考察することで、実はゲオルクの身に起きた不条理が不条理とも言えないことが分かります。

以下では、ゲオルク、その父親、両者の親子関係の順に解説していきます。最後までお付き合い頂ければ幸いです。

 

1. あらすじを簡単に

この記事の読者の皆様は、おそらく「判決」を一度読んだことがあるのではないかと思いますが、便宜のため、ここで作品のあらすじを簡単に確認しておきましょう。

ゲオルク・ベンデマンは父の事業を半ば引き継いで、成功を収めつつある。2年前に母が亡くなってから、事業における父の影響力が弱くなり、ゲオルクは急に動きやすくなったのである。

そんなゲオルクにはある友人がいる。その友人はロシアのペテルブルクに移住して商売をやっているが、正直ぱっとしない。故郷に帰って来いと言ってやりたいが、そうすると友人に失敗を突きつけることにならないか不安である。

ゲオルクは事業で成功しているのだが、そういうことも言いにくいから、手紙の内容は当たり障りのないものになってしまう。しかし、今度、ゲオルクは金持ちの娘と結婚することになった。迷ったが、これは友人に報告することにした。

そのことを、ゲオルクは父親にも教えてやることにした。すると、ゲオルクは父親から意外な反撃を受けた。「おまえの知らない世間があるのだ」、「だがじつはな、悪魔のような人間だったんだ」。父親は、ゲオルクが父親も友人も騙していたのだと言うのである。

ゲオルクに一言言ってやる機会を窺がっていた父親は、ゲオルクに対して「判決をくだしてやる」、「おぼれて死ぬのだ!」と宣告する。

狼狽したゲオルクは家を飛び出した。車道を横切り、川へ向かい、橋の欄干を飛び越えた。「父さん、母さん、ずっと愛してたんだよ、ぼくは」。ゲオルクは欄干を掴む手を放したが、橋の上では交通が途切れなかった。

 

2. カフカ「判決」の解説

この作品はカフカの代名詞でもある「不条理」という言葉がふさわしいお話だと言えるのではないでしょうか。

しかし、何となく不条理だという感じは掴めても、作品の具体的な解釈となると簡単ではなく、荒唐無稽なお話であるとすら思われます。

不条理という言葉はカフカ作品を語る上でよく使用されるのですが、カフカ自身が不条理な作品を書こうと特別意識して書いたかどうかは分かりません。

ただ、カフカにとって不条理とは自嘲のようなものだったと思います。自嘲と言っても必ずしも湿っぽいものとは限りませんが、それは作品を書きながら、自分自身を笑うことだと言えます。

そのため、カフカはゲオルクを不条理な結末に追い込みながら、自分自身を笑っていたのだと想像できるので、そうなると、ゲオルクが自ら橋から飛び降りたことにも、何か理解可能なゲオルク自身の原因があるのだと考えられてきます。

そこで、私の解説では、実はゲオルクは父親に非難されて当然な部分があるのだという解釈を示した上で、この作品の理解を進めていきます。

 

(a)ゲオルクという人間の考察

この作品を理解するにはゲオルクがどういう人間なのか考えていかなければならないのですが、作品を普通に読んでも分かりません。

いや、普通に読む限り、ゲオルクは友人思いとも言えるし、父親のことも決してないがしろにはしていないし、不条理な目に遭わされて可愛そうだと感じます。

しかし、実はゲオルクという人間は、そんな風に思わせてくる、印象の計算ができる人間であるに過ぎません。友人思いとか、父親思いとか、そういう好印象な部分は本心を本当に表しているとは言えないのです。

テキストの中にもそれを裏付けている部分はあるのですが、先に、ゲオルクという人間の中心的パーソナリティをはっきりさせたいと思います。

ゲオルクという人間は、父親も「もともとたしかに無邪気な子どもだった」と言っているように、精神年齢が子どもっぽい人物です。ここで子どもっぽいとは、自己中心的であったり、自慢屋さんだったりするところです。

もちろん、ゲオルクはテキストを素直に読む限りでは、自己中心的でもないし、自慢なんてしてもいないのですが、それはゲオルクが自分自身のそういう部分に罪悪感のようなものを感じて、あるいは批判を先読みして、誤魔化しているからです。

順番に説明していきます。まず、ゲオルクはペテルブルクにいる友人が傷ついたりしないように気遣って、実は事業で成功していることも言えず、当たり障りのない手紙を送り続けていました。

友人は事業の成功を知らないので、ゲオルクにペテルブルクに支店を出すことを勧めたりしています。その売り上げ予想はゲオルクには大したものではありません。そういうこともあるので、ゲオルクはますます本当のことを言えないのですが、その裏では、ゲオルクは友人を非常に憐れんでいます。

憐れむという心理にも色々ありますが、ゲオルクの場合、それは一般的な同情に、自分の成功を自慢する気持ちと、友人を嘲笑う気持ちとが入り混じったものに、どうしてもなってしまいます。

ところで、ゲオルクは友人に帰郷を勧めることをためらっていますが、それは友人にペテルブルクでの失敗の事実を突きつけてしまうかもしれないからです。つまり、

これまでの努力は失敗したんだぜ。いい加減、あきらめたらどうだ。負け犬になって戻って来て、みんなから驚きの目で見られるのも仕方ないだろ。世間のことがわかってるのはおまえの友だちのほうで、おまえはあいかわらず子どもなんだから、こちらにいて成功した友達を見習うことだな。

ゲオルクは心無い一般論を並べているようにも見えますが、しかし、これはゲオルクにとっても本音の一側面です。ゲオルクは世間一般並みの気持ちを友人に対して持っているのであって、だからこそ、かえって気を使っているのです。

これは、気を使わなければ、自分が悪者になるからです。

ゲオルクが一見友人思いに見えるのは、ゲオルクが事業に成功したことを本当は自慢していて、実は友人を低く見ているという事実を自分自身からも隠すため、上手にバランスを取っているからに過ぎません。

だから、ゲオルクの語りは嘘ばっかりです。友情のように見える部分は、自分が決定的に悪者にならないようにするための誤魔化しです。ゲオルクはそれを友情のように見せかけていますが、いわゆる真心ではありません。

友情に見える部分も真心ではないという点が重要で、同じように、父親を気遣うゲオルクの気持ちも、何かに対する誤魔化しなのであって、真心ではありません。父親はそのことを見抜いて、ゲオルクを嘘つきだと言うのです。

父親に対する気持ちが真心ではないという点の方が分かりやすいでしょう。ゲオルクは2年前に母親を亡くしていますが、それをきっかけとして、事業における父親の影響力が弱くなり、ゲオルクも動きやすくなり、事業も成功したということが、さらっと書いてあります。

しかし、これもよく考えるとおかしいので、ゲオルクはごく自然と、母親が亡くなったことで父親もうるさくなくなり、よかった、と言っているのです。父親は「母さんに死なれたことが、おまえよりうんとこたえてる」と言っていますが、そういう父親を気遣うのではなくて、事業がやりやすくなったという思わぬ変化の方に、ゲオルクの意識はあるのだということです。

こういう点に、ゲオルクの自己中心性が見えます。子どもっぽい独善性とでも言いましょうか、父親を気遣わなければいけないという気持ちではなく、父親と事業の主体を交代して結果を出したことが嬉しくて、浮かれています。その浮かれた頭の一つの結末が金持ちの娘との結婚です。

ゲオルクが実は父親を気遣っていないことが分かる部分は何点かあるのですが、もう一つだけ挙げてみましょう。変な場面ですが、父親がベッドの上に立って、前かがみになるので危ない、とゲオルクが思う部分があります。

その時、ゲオルクは「さ、おやじのやつ、前かがみになるぞ」と事前に察知して、「落っこちたら、一巻の終わりだ」という言葉が頭をかすめます。しかし、もうお分かりかも知れませんが、かすめただけです。ゲオルクは動きません。

父親の方は、「期待に反してゲオルクが寄ってこなかったので」、からだを起こしたと書いてあります。「そこにいろ。おまえなんかに用はない。手をさしのべる力はあるけれど、そんな気がないから、さしのべないだけだなどと思っているのか」。全て見抜かれていることが分かります。

つまり、ゲオルクの一見父親思いな部分は、思考上における、自分がいい人か悪い人かのバランス取りとして、可能性として思い浮かぶものに過ぎないのであって、それは真心ではなく、自然と行動に繋がるようなものではないのです。

そんなゲオルクに対して父親は、「なんでそんなにぐずぐずして、一人前にならなかったんだ」と言っています。ここで言う「一人前」とは、頼りになる人間として、真心から父母や友人を思いやれるようになること、だと思います。

それなのに、ゲオルクはお金持ちの娘と結婚することになり、浮かれたはずみで、うきうきして父親に報告する必要もないようなことを報告しに行き、ずっと機会を窺がっていた父親の渾身の復讐を受ける羽目になるわけです。

ゲオルクの罪は生来の気質が自己中心的に傾きがちで、その気質に邪魔されて真心から他人のために何かをするということができず、しかも、真心が実はないのに、それを誤魔化していることです。

そう考えてみるならば、「判決」の不条理も、あながち不条理ではないのです。

 

(b)二重の批判

さて、以上の解説は自然ゲオルク批判の様相を呈していましたが、実は「判決」で批判されているのはゲオルクだけではなく、父親もです。

なぜ父親が批判されるのかというと、簡単に言えば、父親がゲオルクに対して理不尽だからなのですが、この点より詳しく見ていきましょう。

ゲオルクの父親の理不尽さというものは、普遍化して言えば、父親という存在の理不尽な権威性を表しています。要するに、子どもは親に勝てないという、そういう理不尽さのことです。

その理不尽さに対する批判が少し見える部分があります。父親が「婚約者を片づけてやる。どんな方法で片づけるか、楽しみにしてろ」と吐き捨てる場面です。

いかにも理不尽なのですが、父親のその様子は、ゲオルクには、「自分の言ったことが絶対に正しいんだというふうに」、一人で頷いているように見えています。

この理不尽さは、親は腹が立てば子どもを滅茶苦茶に罵ってもいい、とでも考えているかのような、そういう不可解さを意味しています。親は子どもに対して何でも言うことができるし、それが正しくある必要もないということです。

これは、カフカが実の父親に対して感じていた憤りでもあります。

新潮文庫から『絶望名人カフカの人生論』という良書が出ていますが、その中で紹介されているカフカ自身の言葉では、こう言っています。

お父さんは、もたれ椅子にすわったまま、世界を支配しました。

お父さんの意見が絶対に正しく、

他はすべて、

狂った、突飛な、とんでもない、正常でない意見ということになりました。

しかも絶大な自信をお持ちのあなたは、

必ずしも意見が首尾一貫していなくてもいいのです。

ゲオルクは父親に全然勝てません。大人しくしている内は、事業がやりやすくて丁度いいくらいに思っていたのですが、こうやって父親の権威性の理不尽を本気でぶつけられてしまうと、ゲオルクは狼狽するしかありませんでした。

父親の「判決をくだしてやる」、「おぼれて死ぬのだ!」という台詞があまりにも酷いので、多くの読者は父親批判の印象を強く持つのではないかと思います。しかし、私はこの作品の主眼はゲオルク批判であり、その背後で父親批判もやってのけているのだと理解すべきと思っています。

 

(c)ぐずついた親子関係

最終的に、この作品の問題は「ぐずついた親子関係」の生んだ悲劇であると言うことが可能です。いや、喜劇かもしれません。でなければ茶番です。

まず、ゲオルクという男、結局親離れできていません。ゲオルクは事業では父親の立場を奪ったようにも見えますが、心理的に完全に自立しているわけではなく、友人に結婚のことを知らせる、ということをわざわざ父親に報告しに行きます。

これは、簡単に言えば、自分悪い子じゃないでしょ、という確認がほしいのです。本当は友人への結婚の報告は、友人を傷つけ嫉妬させるかもせず、最後まで慎重であるべきなのですが、浮かれて知らせることにして、それが悪いことではないことの後押しをもらいに、わざわざ父親のところに行くというわけです。

都合のいい時だけお父さんにすり寄っているのですが、父親は「しかしきょうは楽しませてくれたな。わざわざやってきて、友達に婚約を知らせる手紙を書いてもいいか、などとたずねてくれた」と言っています。本当に、全てお見通しなんですね。

一方、父親の方も、ゲオルクが事業の主導権を奪ったことを僻んでいます。しかし、親子で事業をやっている以上、どこかの段階で子どもが主役になるのは当然のことなのであって、親には引き際というものがあります。

親は永遠に子どもに口出しして当然ではないのであって、その点理解せず、「あいかわらず私のほうがずっと強いんだ」などと吐き捨てる父親は、彼は彼で未熟であることが分かります。自分が子どもの上にいるというアイデンティティを修正することができていないのです。

だから、父親の方も子離れできていないのですが、その原因は、やっぱりゲオルクが真心から父母友人を思いやれない点にあるのかもしれません。もし、ゲオルクが本当に立派に成長していたならば、父親も子どもに自ら席を譲ったかもしれないからです。

ゲオルクの選択肢は、本当に真心から父親と友人のために行動するか、もしくは彼本来の自己中心性と自慢屋な部分を十分に発揮して、親も友人も知らぬで生きていくか、どっちかだったと言えます。

ゲオルクは自分に不足している真心を十分自覚していて、それを父親に突かれて死んでしまいましたが、親を捨てるという選択肢は、状況次第では、やはり必ずしもなしではないです。が、この物語はそういうお話ではないので、理想的発展を見なかった親子関係の末路であったと、結論していいでしょう。

死に際の「父さん、母さん、ずっと愛してたんだよ、ぼくは」というゲオルクの台詞を思うと、義務感的な親子感情の空々しさにやるせない気持ちになります。これが真心であるべきだという父親の憤りにも限度があるので、やはり後味は決してよくない結末だと言えます。

 

3. さいごに

以上、実はゲオルクの身に起きた理不尽は理不尽とも言えないのだという考察を中心にして、カフカ「判決」を解説してきました。

私は今回改めて読んでみて、カフカはえげつない作品をごくあたりまえのように書くなあ、と感じました。

カフカはゲオルクも父親の方も批判しているように読めるのですが、決して直接的に批判するのではなく、この奇妙ともいえるお話を奇妙なままに書きあげています。普通は批判欲が出てきそうなのですが、そういうことは書かないんです。

それに、カフカの経験上は父親批判を中心にしそうなものですが、私の理解では、中心的に批判されてるのはゲオルクの方です。どうも、私には曲芸のように見えなくもないのですが、カフカの作品には計算の色は窺われません。

カフカが賞賛される理由は色々あると思いますが、以上のような点を踏まえても、確かにカフカの創作は真似し難いものであると言えるのではないでしょうか。

 

4. 参考文献

カフカ「判決」『変身/掟の前で 他2編』(光文社古典新訳文庫)

頭木弘樹編訳『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)

 

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