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湯ヶ島療養時代の最後の作品・梶井基次郎の短編「冬の蠅」の見どころを紹介します!

梶井基次郎「冬の蠅」のイメージ画像として夜の山

 

今回は梶井基次郎の「冬の蠅」の見どころを紹介してゆきます。

あらすじ・引用・見どころによって、作品の大枠が分かるように心がけています。この作品に興味のある方はぜひご覧ください。

また、梶井基次郎という人物について、そして代表作「檸檬」について知りたい場合にはこちらの記事が詳しいので、併せてご覧頂ければと思います。

【文学】夭折の文豪・梶井基次郎とは?代表作「檸檬」のあらすじと考察も!

 

1. 「冬の蠅」について

この作品は1928年に『創作月刊』誌上で発表されました。

梶井は1926年から伊豆・湯ヶ島の温泉宿で結核の療養生活を送っていましたが、この作品は湯ヶ島で書かれた最後の作品です。

梶井は「冬の蠅」を発表すると、以前より密かに抱いていたプロレタリア文学への共感から、東京の本所深川のあたりで、労働者に間近いところで生活しようとします。

それは梶井が望む新しい生活の理想で、すでに辟易していた療養生活からの生活の立て直しだったのかもしれませんが、結局、この構想は叶いませんでした。

病状が悪化した梶井は、同年中に大阪の両親の下へ戻ります。

この「冬の蠅」という作品は、約2年間の湯ヶ島での生活で変遷してきた、梶井の思想ないし生活感情の到着点を示すものです。

1927年の「冬の日」においては、梶井はまだ希望らしきものを予感させる文章を書いていました。それは冬の日差しが身体的・心理的にもたらす幸福感でした。

そのような幸福は「幻影」として「冬の蠅」では退けられています。

私は日を浴びていても、否、日を浴びるときは殊に、太陽を憎むことばかり考えていた。結局は私を生かさないであろう太陽。しかもうっとりとした生の幻影で私を瞞そうとする太陽。(…)

裘(けごろも)のようなものは反対に、緊迫衣(ストレート・ジャケット)のように私を圧迫した。狂人のような悶えでそれを引き裂き、私を殺すであろう酷寒のなかの自由をひたすらに私は欲した。

日光は頭をぼんやりとさせ、身体と魂を弛緩させます。そこでは、平常の冷静な思考が揮発して、梶井は幻惑されます。

梶井は療養生活の中で、それが幻影に過ぎず、真実ではないという意志を明確にします。

この作品のある部分は梶井の決意表明であると読むことができます。梶井が2年間の療養生活で明確にした真実とは何だったのか。そこが見どころの一つです。

前年の「冬の日」と併せて読むと、より楽しめると思います。興味のある方は私の前回の記事もご参考にしていただければ幸いです。

梶井基次郎「冬の日」の紹介と感想~魂と物質との間を揺れる主人公の心

 

2. 「冬の蠅」のあらすじ

作者の温泉宿での療養生活も二冬目になりました。

作者の部屋の中には動きの鈍った蠅が住んでいて、彼らは短い日照の時間だけ日向の中で活動し、今にも死にそうなのに、交尾すらするのでした。

作者はそんな彼らを見て、何という「生きんとする意志」であろうかと思います。

しかし、彼らは窓を開けておいても、虻や蜂のように、外に出て日光の中を飛び回ろうとはしないで、作者の陰鬱な部屋に留まるのでした。

冬になって、作者は日光浴を始めました。ここで作者は「蠅と日光浴をしている男」に加えて、「日光浴をしながら太陽を憎んでいる男」について書いています。

太陽への嫌悪感は、一つには日光浴による身体の生理的変化に原因があると作者は言っています。日光浴は「鋭い悲哀を和らげ、ほかほかと心を怡します快感」をもたらしますが、それは「同時に思っ苦しい不快感」であったようです。

太陽のもたらす身体的・生理的な幸福は「幻影」で、作者は「私を殺すであろう酷寒のなかの自由をひたすらに」求めていました。

また、昼間の太陽光線は視覚効果としても欺瞞で、物体の本当の色合いなどは日が陰ってきてから、むしろ際立つものと作者は言っています。日光は思考を鈍麻させるだけではなく、物体の輪郭や色合いもぼんやりとさせ、そのような日光の世界は幻影だと作者は考えるのです。

ある日、作者は村の郵便局へ手紙を出しに行きました。しかし、作者は疲労してしまっていて、自分の宿まで帰るのは億劫だと感じていました。

そこへ一台の乗合自動車がやってきて、作者は思わず手を挙げて乗り込みます。そのまま、彼は他の乗客とともに、伊豆半島の南端の港の方面へと向かいました。

自動車に揺られながら、作者は「意志の中ぶらり」状態に興味を覚えました。しばらく走ると見知った村人ともすれ違わなくなり、自然林が現れ、落日が見え、渓の水音が速くなってきました。

作者は次の温泉地へ行くにも、自分の宿に帰るにも三里という場所で乗合自動車を降りました。「腑甲斐ない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲笑」を作者は感じていました。

渓が見えて来るところまで歩くと、その「水を打ったような静けさ」の中で、「此処でこのまま日の暮れるまで坐っているということは、何という豪奢な心細さだろう」と作者は思いました。

日が落ちて渓が闇に包まれる中、作者は次の温泉地まで歩きました。作者は冷えた身体を温泉で癒し、酒も飲みましたが、作者の「残酷な欲望はもう一度私に夜の道へ出ることを命令」しました。

作者はその道で迷い、一台の自動車を何とか呼びとめて、その次の温泉地まで辿り着きました。そこで作者は娼家へ入りますが、お金だけ払うと、港に出て闇の中の海を眠気に誘われるまで眺めるのでした。

結局、作者は三日ほど、その温泉地を中心に滞在しました。自分の宿に帰ると、作者は身体を壊しましたが、後悔はありませんでした。

ただ、留守の間に、あの部屋の中に住んでいた蠅たちが一匹もいなくなっていることに気が付きます。窓を開けたり、日差しを入れたりする者がいなくなったために死んでしまったのです。

そこに、作者は「なにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件」を感じました。それは作者の自尊心を傷つける空想でした。作者は「その空想からますます陰鬱を加えてゆく私の生活を感じ」ました。

 

3. 「冬の蠅」の見どころ

①蠅との奇妙な共同生活

冬の蠅とは何か?

よぼよぼと歩いている蠅。指を近づけても逃げない蠅。そして飛べないのかと思っているとやはり飛ぶ蠅。彼らは一体何処で夏頃の不逞さや憎々しいほどのすばしこさを失って来るのだろう。

作品の冒頭です。作者は温泉宿での療養中、彼の部屋に住まう蠅たちと奇妙な共同生活を送っていました。

冬の蠅は夏と比べれば元気がなく、動きが遅いので、退治しようと思えば容易にできたでしょうが、作者は彼らを殺したりせず、そのままにして観察していました。

動きが遅いので、作者の読んでいる本の間にはさまったり、食事中に箸でつぶしてしまいそうになったり、飲みかけの牛乳瓶の中でおぼれていたり、読者にとってはあまりありがたくない観察が述べられています。

蠅は別の作品の中にも登場します。「冬の日」では、人々が団らんするレストランの天上に集まって飛ぶ蠅を眺めている主人公・尭が描かれています。

おそらく、蠅は健康な人々の表面的な活発さやキラキラした感じの反対物であり、陰鬱で、汚く、見なくてもよいものの象徴だろうと思います。

この作品中でも、蠅は病身の作者の部屋の陰鬱さを強調するものとして、蠅は描かれています。

彼らはみな天上に貼りついていた。凝っと、死んだように貼りついていた。

夜更けて、眠る前に寝具の中から天上を見上げると、そこには蠅が死んだように貼りついていたのだそうです。嫌な光景ですね。

作者の打ち捨てられたような生活の印象がよく感じられる一文だと思います。

 

②梶井の感覚世界

梶井の作品を第一級のものにしているのは、何と言っても梶井の感覚の鋭さと、それを文章に結実させる表現力だと思います。

梶井の作品には視覚的なイメージが鮮明に描写されていることが多いですが、この作品では温度に対する感覚が描写されている部分が散見されます。

悪寒に慄えながら、私の頭は何度も浴槽を想像する。「あすこへ漬かったらどんなに気持ちいいことだろう」そして私は階段を下り浴槽の方へ歩いていく私自身になる。しかしその想像のなかでは私は決して自分の衣服を脱がない。着物ぐるみそのなかへはいってしまうのである。

そして、私は想像の結末で、「ぶくぶくと沈んでしまい、浴槽の底へ溺死体のように横たわってしまう」のだそうです。

この部分では梶井の生活に対する無気力さと、梶井が無意識的に求めている、全てを放棄した安堵感とが表現されていると思います。

浴槽に横たわっている「私」の感じている、包まれ、脱力する温かさはごく単純に伝達されるイメージです。

しかし、そこに込められている認識は複雑で、一つの感覚を取ってみても、そこに梶井の生活の全てが投入されているような充実の印象を与えます。

 

③「酷寒の中の自由」とは?

作者は日光がもたらす身体的・心理的な幸福を「幻影」として退けます。反対に、作者は「私を殺すであろう酷寒のなかの自由」を求めます。

作者はそれを観念としてだけではなく、実際に求めていきます。つまり、身体を芯から凍らすような冬の闇夜の中に、自分をさ迷わせるのです。

「何という苦い絶望した風景であろう。私は私の運命そのままの四囲のなかに歩いている。これは私の心そのままの姿であり、ここにいて私は日なたのなかで感じるような何らの偽瞞をも感じない。私の神経は暗い行手に向って張り切り、今や決然とした意志を感じる。なんというそれは気持のいいことだろう。定罰のような闇、膚を劈(つんざ)く酷寒。そのなかでこそ私の疲労は快く緊張し新しい戦慄を感じることが出来る。歩け。歩け。へたばるまで歩け」

梶井の文章の中でも、相当に思想的に充実した一文だと思います。作者は日向で感じるような甘い弛緩した幸福を求めません。闇と酷寒の中を進む意志の力。それが作者にとって心地良いのです。

梶井は優れた感覚と、小さいもの・愛らしいものへの感受性を持っていながら、決してのんびりとした幸福の世界を主題として書いてはいません。

おそらくは結核という現実が、そのような安穏とした気持ちを殺してしまうのです。

ちなみに、岩波文庫の解説に、友人の淀野という人物が、梶井の高等学校時代の様子について書いてくれた文章があります。

「梶井はいよいよ精神的になると共にいよいよ頽廃的になるのである。女色はもちろんのこと泥酔のあと、甘栗屋の鍋に牛肉を投げ込んだり、中華蕎麦の屋台をひっくりかえしたり、借金の重なった下宿から逃亡したり、自殺を企てたり......乱暴の限りをつくす。」

梶井の結核は文章に独特の繊細さを与えていますが、元来梶井という人物は弱々しい人物なのではなくて、爆発的な元気と意思力を抱えているような人物なのだと思います。

梶井のエネルギーの質はどうしても、大人しく療養して、静かな生活を慈しむという方面には向かいません。

実際、梶井の湯ヶ島での療養生活は、友人を呼んで騒いだり、散歩したり、熱い湯に入ったり、あまり療養上は好ましくないものだったようです。

 

④更に深まっていく絶望

何度も述べている通り、この作品では日光が作者に与える身体的・心理的な幸福は「幻影」として退けられ、作者が「私を殺すであろう酷寒のなかの自由」を求めていることが書かれています。

日光のもたらす甘く弛緩した世界を退けるということは、結核を病んだ作者の冷静な意志が結論した真実ですが、それは一つの絶望の形であると言えると思います。

作者は、残り少ないことが分かっている人生を、太陽に胡麻化された幸福の中で終わりにしたくはないのです。

この作品では、作者が「私を殺すであろう酷寒のなかの自由」を具体的に求めて冷たい闇の中をさ迷ったことが描かれていますが、放浪先の温泉地から自分の宿へ戻ってみると、そこにいたはずの蠅たちが一匹もいなくなっていることに気が付きます。

彼らは私の静かな生活の余徳を自分の生存の条件として生きていたのである。そして私が自分の鬱屈した部屋から逃げ出してわれとわが身を責め虐(さいな)んでいた間に、彼らはほんとうに寒気と飢えで死んでしまったのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼らの死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしてそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。私はそいつの幅広い背を見たように思った。

そのような想像は作者の自尊心を傷つける空想だったようです。そして、作者は「その空想からますます陰鬱を加えてゆく私の生活を感じ」ました。

作者は自分を支配している見えない存在に、どこか水を差されたような気持ちになったのだと思います。

冷たい闇の中で、作者はある意味で全能でした。その中で、作者は「快く緊張し新しい戦慄を」感じることができていました。そのような時間は、作者が自分の存在を証明するために不可欠だったのです。

処女作「檸檬」にも、そういう全能の瞬間が描かれています。つまり、主人公は丸善の書棚にある画集を色々な形に積みあげ、その上に檸檬を置き、それをそのままにして立ち去るのですが、そのような全ての感覚を解放するかのような充実した瞬間を、梶井は知っているのです。

それは、梶井の密かな自負であったと私は思います。それが、部屋に帰ってみて蠅たちが死んでいたので、水を差されたのです。大人しく療養していれば、そのような微妙な事態は起こらなかったのですから。

この作品では、作者の最後の自負までもに、一すじの傷がついてしまったことが描かれているのではないかと私は思います。

 

4.  さいごに

梶井基次郎の「冬の蠅」に興味を持って頂くことはできたでしょうか。

私のおすすめは「冬の日」と併せて読むことです。梶井の生活や感覚世界について知ることができますよ。

文章も梶井の作品でしか味わえない充実がありますので、ぜひ確かめてみて下さい。

 

5. 参考文献

梶井基次郎「冬の蠅」他『檸檬・冬の日 他九篇』(岩波文庫

飛高隆夫「梶井基次郎ノート : 「冬の蝿」をめぐって」『大妻女子大学文学部紀要』(大妻女子大学文学部)

黄地桃子「梶井基次郎「冬の蝿」論 : 「闇」の認識を視座として」『百舌鳥国文』(大阪女子大学大学院国語学国文学専攻院生の会)

 

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