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梶井基次郎「冬の日」解説と感想【物質と魂の狭間の心理】

梶井基次郎「冬の日」のイメージ画像として冬の夕暮れ

 

今回は梶井基次郎の「冬の日」の感想を解説を含む形で書いてゆきます。

未読の方のためにあらすじも用意しました。また、感想部分では極力作品の輪郭が浮かび上がってくるように心がけています。

梶井基次郎と「冬の日」に興味のある方はぜひご覧下さいね。

また、梶井基次郎の人物と「檸檬」に関しては、こちらの記事が詳しいです。併せてご覧頂ければと思います。

【文学】夭折の文豪・梶井基次郎とは?代表作「檸檬」のあらすじと考察も!

 

1. 「冬の日」について

梶井基次郎の「冬の日」は1927年に雑誌『青空』誌上で発表されました。この雑誌の創刊号(1925年)では、梶井は「檸檬」を発表しています。

梶井は高等学校の頃から結核に煩わされていましたが、乱脈な生活もあり病状が重くなってきたことから、彼は伊豆・湯ヶ島の温泉宿で療養生活を送るようになります。

彼が湯ヶ島を選んだのは、そこに「伊豆の踊子」で一躍人気作家となった川端康成が逗留していたからとも言われています。

この「冬の日」は、その湯ヶ島時代に書かれたものです。

梶井は松尾芭蕉を敬愛していたと言われるのですが、どうやら「冬の日」という作品のタイトルは、芭蕉の選集『冬の日』に由来しているようです。

この作品は他の作品と同じく心境小説です。

結核を病んだ主人公の、希望と絶望との間で揺れる心理が、梶井らしい視点と筆致で描かれています。明確な起承転結があると言うよりは、全6章が比較的緩い繋がりで綴られています。

梶井の作品は「檸檬」も含めてみな短編小説です。短い時間でじっくり集中して読むことができるので、ぜひご覧になって下さいね。

 

2. 「冬の日」のあらすじ

季節は間もなく冬至(とうじ)です。冬至とは一年で最も昼が短い日です。毎年12月22日頃がそれに当たります。

主人公の尭(たかし)は間借りしている二階の部屋の窓から、木々の梢から葉が枯れ落ちていくのを眺めていました。

肺病の尭はこの頃「生きる熱意をまるで感じなく」なっていました。一方で、「裡(うち)に住むべきところをなくした魂は、常に外界へ逃れようと」焦っていました。

尭は毎日遅く起き出します。すると、起きると一時間もしない内に、冬の日差しも消えかかっていきます。その短い時間、尭は日の光と、それが作り出す物体の陰とを眺めていました。

ただ、日が落ちた後の陰りを見ると、尭は「墨汁のような悔恨やいらだたしさ」を感じるのでした。それが尭の毎日でした。

尭には弟と妹がいましたが、共に病気で亡くなりました。彼らは亡くなる前、白い石膏の床に寝かされていて、「意志の喪った風景のなかを」死んでいったと、尭は述懐しています。

二人が亡くなって父親は老け、母親ももうこれ以上の苦労はしたくないと、手紙の中で尭に漏らしています。尭はそんな母親を思うと悲しくなります。涙さえ流した日もあります。

ある日、尭は久しぶりに午前中に起き、うっとりとした気分で、新鮮な空気と、午前の日差しの中を歩きました。まるで「痴呆のような幸福だ」と尭は思います。冬の日差しの中には、虻や、蝶すら舞っているのでした。

しかし、尭の幸福な気持ちも日が陰ると落ち込んでいきます。尭は「希望を持てないものが、どうして追憶を慈しむことが出来よう」かと自嘲気味に考えます。自分の部屋の目の前の坂道で、尭は「だんだん通行人のような心」になるのでした。

一時期、尭は母親の幻覚を見ました。町で母親らしき姿を見つけたり、部屋の中に母親がいるような気がして帰ってみたり、そんなことがありました。

しかし、母親から手紙が来て、母親自らではなく、津枝さんという人物に尭の様子を見てもらうことにしたと伝えられてから、幻覚も止みました。

尭は何かに駆られるような気持ちでいます。何が尭を駆るのか。それは「遠い地平へ落ちていく太陽の姿」でした。

結局は消えていく冬の日差しを眺めるばかりの生活に、尭はもう耐えることができなくなっていました。尭は家を出て、落日の見られる見晴らしのいい場所を求めました。

知らない町の町角までやってきましたが、結局、「大きな屋根の影絵」や「夕焼空に澄んだ梢」が、間接的に落ちていく太陽の姿を想像させるだけでした。

見上げると、「青く澄み透った空では浮雲が次から次へ美しく燃えて」いました。尭は「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」と思います。

しかし、その美しく燃える雲も、流れていっては次々と「死灰(しかい)」に変わっていきます。尭は「遠い地平へ落ちていく太陽の姿」を見ることはできませんでした。

尭の心はもう、再び明るくなることはありませんでした。

 

3. 「冬の日」の解説と感想

梶井基次郎の文学において、その創作の中心には常に結核の存在があります。結核は当時の死病で、文学においては生活の陰鬱さや、惨めさを象徴することがあります。

梶井文学において結核は、単に登場回数や比重が大きいだけではありません。

それは作者の心境や世界を眺める視点の形成という点で、見えない網の目のように作品中に広がって、作品を生きたものにしています。

この作品の主人公・尭(たかし)も結核で、冬になって肺が痛んできたことが冒頭に書かれています。

冬になって尭の肺は疼んだ。落葉が降り溜っている井戸端の漆喰へ、洗面のとき吐く痰は、黄緑色からにぶい血の色を出すようになり、時にそれは驚くほど鮮やかな紅に冴えた。

梶井の文学には、希望の無さの中に、突然の美が粛然と現れます。美しい色彩。梶井の目はどんな時でも、目の端に何か美しい色彩が捉えられた時、それを決して逃したりはしません。

色彩の美が作者と、その作品の主人公たちを生かしている部分は大きいと思います。それにも関わらず、やはり生活は陰鬱です。いつか来る終わり(死)は単に将来の出来事なのではなくて、現在に流れ込んできて心の澱となるのです。

この作品では、尭は冬の日差しや落ちていく太陽に対する憧れの気持ちと、重たく陰鬱な気持ちにさせる冷静さとの間で揺れ動いています。しかし、最後には、「尭の心はもう再び明るくはならなかった」と、希望のない一文が書きつけられています。

実は、この作品には続きが構想されていたらしく、尭は冬を越しても生きています。その内容はうかがい知ることもできませんが、おそらく、尭の生活はこの冬の間と同じように、繰り返しのものだったでしょう。

憧れと息の詰まるような絶望の繰り返し。日差しが輪郭のぼやけた陰を作る。その夢のような時間。そして、日が陰った後の冷たい石のような時間。憧れは必ず絶望に続くのです。

この心の反復運動に、私は魂と物質の問題を見ます。

魂が揺らぐ時、尭は悲しいとも、恋焦がれているとも言えない気分に襲われます。

日向は僅かに低地を距てた、灰色の洋風の木造家屋に駐っていて、その時刻、それはなにか悲しげに、遠い地平へ落ちてゆく入り日を眺めているかのように見えた。

尭はその洋風の木造家屋に淡く降り注いでいる夕暮れの日差しに、沈んでいく太陽そのものを幻視しているようです。こういう瞬間に揺らぐ魂は、わずかに悲しみを湛えながらも、夢幻の中に揺蕩い、その中で生きている意味を予感します。

あるいは、魂の揺らぎこそが、生を予感させる唯一のものなのかもしれません。

冬陽は郵便受のなかへまで射しこむ。路上のどんな小さな石粒も一つ一つ影を持っていて、見ていると、それがみな埃及(エジプト)のピラミッドのような巨大(コロッサール)な悲しみを浮かべている。

石粒の影と言うと、冷たくて悲しいものを想像させるかもしれませんが、その影を作り出す日差しの存在を考えると、その悲しみはどこか温かさに包まれていて、やはり夢のような印象を与えます。

しかし、尭の魂の揺らぎは、物質的法則の絶対性の前では必ず沈黙させられてしまいます。

翳ってしまった低地には、彼の棲んでいる家の投影さへ没してしまっている。それを見ると尭の心には墨汁のような悔恨やいらだたしさが拡がってゆくのだった。

尭の魂が惹かれている、日差しが淡く浮き上がらせる影。そうではなく、ただ暗く冷たい、沈黙の陰り。そこでは生ではなく、生命の終わりが予感されます。

魂の揺らぎを苦しさの内に封じられた身体は、もはや単なる物質に過ぎません。それも、尭の身体は常に崩壊しかけている、弱々しいものに過ぎないのです。

尭はそれを見終わると、絶望に似た感情で窓を鎖しにかかる。もう夜を呼ぶばかりの凩に耳を澄ませていると、或る時はまだ電気も来ない何処か遠くでガラス戸の摧(くだ)け落ちる音がしていた。

夜は沈黙した物体の時間です。遠くではガラス戸が砕け落ちる音がしていたというのは象徴的だと思います。この時間には何も甘いものはありません。物質は物質。壊れていくときは、その自然法則に従って壊れていくだけだ......。

尭の身体も、病という自然法則によって、次第に崩壊していきます。そして、尭の身体が行き着く先はもう、尭にははっきりと見えています。それは弟と妹がすでに辿った未来でした。

尭の弟は脊椎カリエスで死んだ。そして妹の延子も腰椎カリエスで、意志を喪った風景のなかを死んでいった。其処では、たくさんの虫が一匹の死にかけている虫の周囲に集まって悲しんだり泣いたりしていた。そして彼らの二人ともが、土に帰る前の一年間を横たわっていた、白い土の石膏の床からおろされたのである。

尭の行き着く先は、白い土の石膏の床の上です。そして、いつかはそこからも下ろされて、灰になって土に帰る。それが、物質としての尭の宿命です。

この救いのない未来が現在の尭をも蝕んでいることを考えると、彼が「遠い地平へ落ちていく太陽の姿」を魂から恋い求めていようとも、結局は作品が「尭の心はもう再び明るくはならなかった」という結論に辿りついてしまうことも、おそらくは避けられないことであったのでしょう。

この作品は憧れと絶望との間で揺れる尭が、冬の日差しが見せる夢のような時間と、その後に続く陰鬱な夜の時間との繰り返しを見つめた結果、身体的な事実という、絶望の側へ落ち着くまでの経過を綴った物語と言えるかもしれません。

この作品の文章ではありませんが、「冬の日」の翌年の作品、「冬の蠅」には以下のような文章があり、示唆的です。

私が最後に都会にいた頃―それは冬至に間もない頃であったが―私は毎日自分の窓の風景から消えてゆく日影に限りない愛惜を持っていた。私は墨汁のようにこみあげて来る悔恨といらだたしさの感情で、風景を埋めてゆく影を眺めていた。そして落日を見ようとする切なさに駆られながら、見透しのつかない街を慌てふためいてうろうろしたのである。今の私にはもうそんな愛惜はなかった。

尭が、心の底から、冬の日差しがもたらす魂の揺らぎの時間を退けることができたかどうか、私には分かりません。しかし、それを退けることは、あるいは尭が残りの人生を生きていく上では必要なことだったのかもしれません。

希望と絶望の反復は辛すぎるから。

せめて心を軽く生きるためには、大きな希望はいっそ捨ててしまって、ただ静かな時間を過ごすことが、尭の望みだったのかもしれません。

青く澄み透った空では浮雲が次から次へ美しく燃えていった。みたされない尭の心の燠(おき)にも、やがてその火は燃えうつった。

「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」

尭の孤独は彼自身の魂を先に殺してしまうことを思いつかせました。魂と、物質としての身体の不一致。絞め殺されるのは魂の方です。

しかし、やはり尭の魂は美しく、愛おしくさえあります。そんな私の嘆きも、尭の孤独な冷静さの前では、やはり冬の日のように移ろい易く、頼りなく、真実の名には値しないものなのでしょう。

孤独が見出した真実に、私たちは容易に言葉を見出すことができません。

 

4. 参考文献

梶井基次郎「冬の日」他『檸檬・冬の日 他九篇』(岩波文庫)

 

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