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新感覚派・川端康成の代表作「伊豆の踊子」の解説的感想です。

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1. 川端康成「伊豆の踊子」の感想

今回は新感覚派の作家・川端康成の「伊豆の踊子」を読んだので、その感想を書いていきたい。あらすじと解説を含むため、川端康成や「伊豆の踊子」に興味のある読者はぜひご一読されたい。その上で実際にお手に取られても、この記事の内容で満足して頂いても、私としては幸いである。

川端康成は文学史上「新感覚派」と呼ばれる。これは1924年に創刊された雑誌『文芸時代』の一員であったからである。大正末から昭和初期にかけて、彼らは芸術派としてプロレタリア文学の潮流と競った。同派の代表的人物には横光利一がいる。白樺派の根拠雑誌『白樺』の創刊が1910年であるから、彼らはやや遅れて登場した新鋭達であったと言える。

ただ、川端康成と言えば、やはり代表作「雪国」とか、ノーベル文学賞受賞者という印象が先行するのであろうと思う。「雪国」は1935年から書き始められ、川端がノーベル文学賞を受賞したのは1968年のことである。日本人として初めての受賞であった。川端が日本美の表現者として不動の地位を築いていることは広く知られている。

だが、もう一つの代表作「伊豆の踊子」はもっと若い頃の作品である。これは1926年に書かれているが、この年作者は27歳に過ぎない。私はすでに白樺派の武者小路実篤についても書いているが、彼は34歳で「友情」(1919年)を発表している。川端が相当若手の新鋭であったことが分かるだろう。

私は詳細を知らないが、川端は1918年の秋から約十年間にわたり、毎年伊豆を訪れていたようである。最初に伊豆を訪れた時、作者は19歳であった。まだ東大に上がる前のことである。ここで、川端は旅芸人の一行と旅ずれになったらしい。言うまでもなく、この経験が「伊豆の踊子」の原点を成している。

主人公の「私」は二十歳の高等学校の学生である。一人らしく、伊豆は修善寺、湯ヶ島と滞在してきて、今天城峠に向って上っているところで、物語は始まっている。高等学校の制帽、紺飛白(こんがすり)の着物に袴(はかま)、それに肩から学生カバンをかけているという様子で、想像すると少々子供らしくもある。いや、その青年らしくも大人らしくもないところが、この主人公の現在なのである。

どうやら、主人公はある期待を抱いて歩いているらしい。それは、とある旅芸人の一行と鉢合わせしてくれないだろうかということである。主人公はこの一行を湯ヶ島などで連日目にしていたようである。なぜ主人公が旅芸人の一行と一緒になりたいのかは分からない。が、主人公は一行の中にいる、太鼓を提げた踊子を見て、「旅情が自分の身についた」と思ったようである。旅する者の嗅覚であろうか。

折しも激しい雨が降り始め散々であったが、主人公は峠の茶屋に着いた。すると、果たして旅芸人の一行はそこで休んでいたのである。これには、むしろ主人公は面食らってしまった。主人公が行くと、踊子の娘は座布団をひっくり返して敷いてくれた。主人公はこの時から踊子を意識し始めているのだろう。彼は踊子に「ありがとう」と言えなかったことを気にしている。

奥で、茶屋のお婆さんが一行を軽蔑している風に話すので、主人公はそれなら自分がその踊子を部屋に入れるのだなどと妄想する。しかし、そんな妄想は後で一行と一緒になると吹き飛んでしまう。主人公は踊子を十七くらいに思っていたのであるが、実際は十四で、態度もまだほんの子供に過ぎなかったからである。

それでも、主人公はしばらくは踊子が自分の知らないところで汚されはしないかと心配している。が、風呂で素っ裸で思いっきり手を振ってくる踊子を見て、主人公はすっかりそんな心配もしなくなる。踊子は無邪気で純情であった。素っ裸で手を振っておいて何なのだという感じもするが、踊子は少し、主人公のことが気になるらしい。純情の心理は容易には掴めない。

主人公と旅芸人の一行とはずいぶん親しくなった。それは軽蔑されがちな旅芸人に対して、主人公がごく自然に振る舞ったからである。軽蔑するのでも、同情するのでもなかった。あるいは気を使うのでもなかった。というより、主人公はただ話がしたかったのだと私は思う。実際、主人公はよく交際している。茶屋の老夫婦だとか、紙屋の行商人だとか、宿の人間だとか、うぶに見える割に、主人公は積極的である。

主人公と旅芸人の一行は数日一緒にいたのであるが、金の問題で主人公は彼らと別れなければならなくなる。本当は下田で一緒に法事を済ませる予定だったのであるが、やや歯切れの悪い形で別れることになった。とはいえ、冬には旅芸人たちの根拠地である大島に行く約束をしているのであるが。

みな残念がったが、踊子のしょげ方には微妙なところがあった。読者は主人公と踊子との間に恋愛があったかどうか、判断に迷うだろう。だが、おそらくそれは恋愛などではなかった。寂しがりだったり、人懐っこかったり、そんな純情を持つ二人の心が近づくことができて居心地がよかったのであろう。

主人公はこの伊豆の旅に、何か予感めいたものを感じていたに違いない。これは、言わば禊(みそぎ)の旅である。主人公の心理に、心のこんがらがりから来る気鬱を捨てられるかもしれないという期待がなかったとは言えまい。この旅は単なる気晴らしなどではなく儀式なのである。

主人公はこんなことを言っている。

二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。だから、世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いようなく有難いのだった。

新潮文庫の解説によれば、川端は「二、三歳で父と母を、七歳で祖母を、そして十五歳までに、たった一人の姉と、祖父とをことごとく」失っている。そのことが川端に与えた傷と、伊豆での旅行が与えた癒しの経験とが、この「伊豆の踊子」を形作っていることが分かる。純真に刻まれた傷は微妙な精神の震えとなって、主人公の人格に表れているようである。

主人公は子供の内に家族を失っている。その傷は心理的な発育不全をもたらした。それは、家族を失うと同時に自分を失ったことに等しい。この伊豆の旅は、主人公の心の内で縮こまってしまった本当の自分が、思い切り手足を伸ばすことができるようになるための通過儀礼なのである。美しく、涙ぐましい、魔法のような伊豆の旅の雰囲気を読者は見逃さないことと思う。

踊子と、旅芸人の男と港で別れて、船に揺られる主人公はポロポロと泣いた。横には入学準備で東京に行くという少年がいたが、見られても何ともなかった。少年は高等学校の制帽をかぶる主人公に興味を示したらしい。それで少年の海苔巻のすしを分けてもらったり、学生マントの中にもぐらせてもらって温まったりした。

主人公はもう、変に自分を卑下したりして、気を使ったり、好意を遠ざけようとしたりしなかった。というより、自分というものを複雑に考えて、あれをやったり、これをやったり、あるいはしなかったり、そんな面倒な気持ちはなくなっていた。

私はどんなに親切にされても、それを大変自然に受け入れられるような美しい空虚な気持だった。(…)何もかもが一つに融け合って感じられた。

純情は自然に表に出てこなければならない。抑え込まれると人間は自信を喪失して、自己卑下を始めるものである。主人公は子供らしく見えるかもしれないが、勇気や大胆さも兼ね備えている人物であると私は思う。主人公は自分の意志と感覚とで、この伊豆の旅を歩いたのであるから。

川端康成と言うと、情景描写の美しさの印象が強いように私は勝手に思っている。それは「雪国」の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という文章があまりにも有名だからである。

しかし、「伊豆の踊子」の美しさは心理の美しさである。あるいは、人間の美しさであろうか。主人公と踊子の震える純情を震えるままに、美しく描くことは、実は難しいことなのである。純情を描く作者は多くても、作者の眼は様々な事情があって、容易には震えないからだ。

私はこの時川端の眼にあった純情を疑わない。

 

2. 参考文献

川端康成「伊豆の踊子」『伊豆の踊子』(新潮文庫)

 

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