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森鷗外「舞姫」豊太郎の優柔不断についての解説です!【酷い】【格好悪い】

森鷗外「舞姫」のイメージ画像として雪の画像

 

森鷗外「舞姫」の主人公・豊太郎の優柔不断について解説していきます。

物語の結末の原因が豊太郎の優柔不断にあるというのは、多くの読者の感じる不満の一つです。豊太郎に責任がなかったと思う読者はいないでしょう。

豊太郎の立場はなかなか厳しいですが、この記事では新しい発見を模索しつつ、豊太郎の優柔不断を改めて理解していきます。最後までお付き合い頂ければ幸いです。

 

1. あらすじを簡単に

幼い頃から成績優秀で神童とも言われた豊太郎は、官吏としてドイツへ留学することになりました。そこで、豊太郎はドイツの法制について詳しく調査し、長官に報告するのでした。

ある日、豊太郎はエリスという可憐な少女と出会いました。寺の前で泣いていた彼女は貧しい踊り子でした。

豊太郎とエリスは控え目な交際をしていたに過ぎないのですが、豊太郎の同僚たちは彼らの関係を悪く言って、とうとう豊太郎は職を失ってしまいます。もし他の職が見つからなければ、豊太郎はエリスと別れて日本に帰るしかありません。

豊太郎が困り果てている時、友人の相沢の紹介で、豊太郎は新聞社の記者としての職を得ることができました。

エリスとの楽しい時間を繋ぐことのできた豊太郎でしたが、程なくして、エリスが身ごもったらしいことが分かります。それと同時に、彼は相沢の上官の大臣から、翻訳の仕事を依頼されました。

それは嬉しいことでしたが、その時、豊太郎は相沢に諭されるがまま、エリスとは別れると言ってしまいました。

しばらくして、豊太郎は大臣に従ってロシアへ出張するのですが、帰還後、豊太郎は再び大臣に呼ばれ、日本に帰ると約束してしまいます。豊太郎は自分のした約束にショックを受け、フラフラになりながら帰宅します。帰宅すると、豊太郎は気を失ってしまいました。

目を覚ますと、エリスは精神を病み、正気を失ってしまっていました。豊太郎が気を失っている間に、相沢がエリスに、豊太郎が帰国の約束をしたことを告げてしまっていたからです。

豊太郎は相沢を得難い友人だとしつつも、一筋の恨みの気持ちを抱いて、帰国の途に着きました。

 

2. 豊太郎の優柔不断についての解説

多くの読者が「舞姫」を読んで感じることは、豊太郎が強い意志を持たず、相沢と大臣の言うがままに帰国することになり、エリスを捨てた挙句、エリスを廃人にまでしているので、豊太郎は酷い、ということではないでしょうか。

物語の結末がバッドエンドであったとして、その原因は豊太郎の「優柔不断さ」にあっと考える読者は多いはずです。

実際、豊太郎の人物像は比較的はっきりしています。豊太郎は友人や上司など、豊太郎が信頼している人物に何かを指示されたり、依頼されたりすると、それを断ることができません。十分考える前に返事をしてしまい、後で苦しむようです。

大臣にロシアへの出張に付いてこないかと問われ、とっさに承諾してしまった豊太郎はこう語っています。

この答えはいち早く決断して言ひしにあらず。余はおのれが信じて頼む心を生じたる人に、卒然ものを問われたるときは、咄嗟(とっさ)の間、その答の範囲を善くも量らず、直ちにうべなふことあり。

豊太郎は相手の言うことを拒否することで、自分と相手との間の関係が微妙に変化してしまうことが怖いのでしょう。上記の大臣とのやりとりの場合、相沢へのはばかりもありますが、これまでの翻訳の仕事を通じて築いた良好な関係に寒風が入り込むことを恐れているのです。

しかし、上記の引用でより重要な点は、豊太郎が相手に感じている「信じて頼む心」というものが、現代人のそれとは同じではないことです。

というのも、現代人の感覚であれば、相手に本音を受け入れてもらえている時、相手に対して一番信頼を感じるものです。いわゆる、オープンな関係でしょうか。弱音なども受け入れられて然るべきと、これは時代の流れで、現代人はそう思います。

しかし、豊太郎の場合は、自分の能力とか、国家のために立派に義務を果たしていることとか、そういう部分を評価してくれる人を信頼しています。そういう風に評価されることが生きる上で必要だからです。

これは、現代と明治との間にある価値観の相違です。現代人はオープンな関係の方が息苦しくないかもしれませんが、明治の初期などは生きていく上で公の観念の重みがまるで違います。

この時代、豊太郎のような有望な人物にとって、能力を国家のために使うということは当たり前のことです。国家(=公)のために能力を発揮すること、これが人生の意味であったと言っても過言ではありません。

周りの人間も皆同じように考えているので、豊太郎にとって、そういう世界から自分だけはみ出すということは難しいことでした。それに、当の本人自身も、他人に劣らず明治の価値観の中で生きています。

例えば、豊太郎は免官されて帰国の瀬戸際にいた時、エリスについて、「余が彼を愛づる心の俄(にわか)に強くなりて、遂に離れがたき」関係に、この時なったと言っています。しかし、そのすぐ後の部分では、

このままにて郷にかへらば、学成らずして汚名を負ひたる身の浮ぶ瀬あらじ。さればとて留まらんには、学資を得べき手だてなし。

豊太郎は「郷」(=公)を背負ってドイツに留学しているのであって、必ずしも自分の好きなようにばかり生きられるわけではないという意識が、彼にもあります。実際に帰国するか否か考える時に中心にあるものは、エリスのことではなく、豊太郎が自分の義務を果たしていると周りが納得するかどうか、ということです。

なので、豊太郎は個人的な意思の弱さもあるかもしれませんが、それに加えて社会の慣習のような部分で、エリスへの愛を中心に自分の行動を決めることができません。豊太郎の行動の基準は社会的な価値観で決められて、ある意味当然だったからです。

そのような時代背景そのもののような人物が相沢という男です。彼は豊太郎のことを何かと助けてくれますが、エリスとの一件に関しては、

学識もあり、才能あるものが、いつまでか一少女の情にかかづらひて、目的なき生活(なりわい)をなすべき。

そして、「意を決して断て」と言っています。豊太郎はこの忠告を、一面では有難く受け取っているようです。もちろん、豊太郎には「棄てがたきはエリスが愛」という気持ちもあります。しかし、相沢の忠告の方が、自分の人生を立て直していく場面では、よりもっともらしいものでした。

ここで、豊太郎は相沢にエリスとは別れると言ってしまい、このまま最後まで、豊太郎はエリスへの愛と国家との間で揺れていきます。この様子を見て、読者は豊太郎を優柔不断だと感じるわけです。

確かに、豊太郎は優柔不断と言えます。意志や決断力に弱いところがあったということなのですが、この物語において重要なのは、例えば、

余は我身一つの進退につきても、また我身にかかはらぬ他人(ひと)の事についても、決断ありと自ら心に誇りしが、この決断は順境にのみありて、逆境にはあらず。

と、豊太郎が自分で言っていることです。言うまでもなく、豊太郎に必要だったのは逆境における決断力だったのですが、それが自分にはないと、豊太郎は自己分析しているわけです。

豊太郎は、今までずっと、父母や上官に言われるがままに生きてきました。「人のたどらせたる道を、唯だ一条に」生きてきたのです。一見、豊太郎は非常な忍耐力を発揮して学問を修めたりしてきたわけですが、これは勇気ではなく、むしろ臆病なのだと豊太郎は言っています。

これまで順境において、人に言われるがまま努力することはしてきても、逆境において自分で決断するという経験は、豊太郎にはありませんでした。私はこの点を、物語の結末の原因を成すものと考えます。

私は豊太郎を責めたいわけではなく、逆境における経験不足が、エリスへの愛か国家かという問題に、なかなか決断を下せなかった原因になっていると考えます。逆に言ってしまえば、経験さえあれば、あるいは相沢によって断たれた時間さえあれば、豊太郎はエリスを選んだであろうと考えられます。

実際、森鷗外に関する逸話で、エリス事件というエピソードがあります。そこで鷗外は評論家と「舞姫」に関して論争するのですが、鷗外は、豊太郎は意識不明になりさえしなければ、エリスと話し合って、彼女を捨てなかったであろうという趣旨のことを言っています。

おそらく、豊太郎には、自分は最終的にはエリスを捨てなかっただろうという気持ちがあるので、相沢に対して恨みも感じているのでしょう。

豊太郎は決断できずに、相沢や大臣に本心ではない返事をし続けますが、それも経験なので、繰り返している内に決心ができることもあります。たとえ大臣に帰国の約束をしたとしても、そこで全てが終わってしまうとも限りません。

なので、実は、豊太郎が最後に全てを覆すような、大きな決断をする可能性もあったのですが、それは相沢によって封じられてしまいました。豊太郎の自由な決断の可能性というものは、相沢が代表する「公」の力によって断たれてしまったのです。

以上見て頂いた通り、豊太郎は確かに優柔不断ではあるのですが、豊太郎の苦しみの背景には、有望な人物は国家のために働いて当たり前という、一般的な価値観があったことを考慮しなければなりません。

そのような価値観があったにも関わらず、相沢に断たれなければ、最後まで豊太郎にはエリスを選ぶという選択肢がありました。そう考えると、豊太郎のエリスへの愛は本物であったと言えます。

このような事情を全て考慮しても、現代人にはやはり豊太郎の優柔不断さが不満に思われるかもしれません。しかし、最終的な決断を下したのは豊太郎自身ではなく、他人に決められてしまっています。そのやり切れなさが、豊太郎の脳裏で「一点の彼を憎むこころ」になっているのです。

 

3. さいごに

以上、森鷗外「舞姫」の主人公・豊太郎の優柔不断について解説してきました。

豊太郎はエリスへの愛を選ぶか、国家を選ぶか、という二択で苦しんでいるだけ、当時の感覚では、より現代人に近い人物だったと言えます。

しかし、現代人はその二択で悩んでいること自体不満だったりするので、なかなか豊太郎の立場は厳しいところがあります。

この解説で少しでも新しい発見があったのであれば幸いです。

 

4. 参考文献

森鷗外「舞姫」『舞姫・うたかたの記 他三編』(岩波文庫)

出口汪『中継新書 早わかり文学史』(語学春秋社)

 

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