Rin's Skyblue Pencil

文学作品などの読書感想や解説を投稿していくブログです!

【書評】小林秀雄「良心」の解説寄りの感想です。

この記事のイメージ画像として心を落ち着けるツル植物の画像

 

今回は小林秀雄の批評「良心」の書評です。

この作品は文春文庫の『考えるヒント』に収録されています。書評は内容の紹介と解説を兼ねているので、興味のある方はぜひご参考にして下さい。

この記事を読んで頂いて、実際にお手に取られても、この記事で満足して頂いても、私としては幸いです。お楽しみ下さい。

 

1. 作品の要約

ある刑事事件において、判決の理由付けとして「嘘発見器」の使用が一部採用されたという記事を「朝日ジャーナル」誌上に見つけたことから、小林は人間の「良心」の問題に切り込んでいく。

嘘発見器が機械である以上、嘘か真かという心理的な質の問題を直接的に判断することなどできない。機械が捉えるのは心理を起因とした生理的な変化である。

心理が生理的な変化として正確に表れるのだとすれば、嘘発見器は「嘘」を外的な事実として確実に検知することができるかもしれないが、嘘を付くということに対する心理的な反応がみな一様なものとは限らない。

これは嘘発見器の機械としての限界の問題である。

小林の問題意識は更に進む。ある裁判において、裁判官が「嘘を付くなら嘘発見器にかけるぞ」と脅かす、すると被告の方も「嘘発見器を使用せよ」と応える、といった場面を想像してみよう。彼らの間では、良心とは外的に測定できる何かなのである。

これが行き着くところ、地獄の主・閻魔の持つ照魔鏡である。嘘発見器が確実に人間の嘘を暴く性能に到達したとすれば、もはや人間には嘘など付くことはできない。これは内的な自発性のある自制ではなく、外的な脅しによる委縮である。

本居宣長に小林は辿り着く。

宣長は良心とは理智ではなく情であると見破っていたと言う。

宣長は人間が内的に経験する「実情」というものを重視していた。宣長はそれを「はかなく、女々しき」ものと呼んだ。というのも、情は社会通念と結びつき、男らしい正義の面をして突き進むことができないからである。

良心は我々を悩ませる。その根底には自己を裁く者は自分自身に他ならないという意識があると小林は指摘する。この一種の感受性を、孟子は「心の官」と呼んだ。

良心が情であるとすれば、それは我々自身の内的な経験の問題なのである。

 

2. 書評

実に小林秀雄らしい無駄のない批評だ。小林の批評は、彼が一般社会の風潮に対して憤りを感じていればいるほど、その批評の鋭さは増していくようである。

一見して、この作品の語気は至って平生ではあるが、私には小林の筆から立ち上る怒気のようなものが見えるようである。小林は批判のための批判を、生産性のない破壊的なものとして嫌うため、自然、論調が強くなり過ぎるということはない。とはいえ、小林の筆の運びは本質的には決して優しくはない。

小林は雑誌上で「嘘発見器」の使用に関する記事を読んだようだが、そこから、ここまで真剣に「良心」の問題に繋げていけるということ自体、もしかすると多くの読者には理解できないことかもしれない。ともすれば、小林は大げさなのである。

しかし、これを「大げさ」で片づけてしまうところに、我々現代人の弱点があると考えてみなければ、小林の批評は理解できない。

今回の作品で小林の念頭にあるのは、人間が頭脳と感情とを共に備えて生きているという事実である。そして、今回の嘘発見器に関する問題は、小林にとっては人間が安易に頭脳偏重に傾いていく時代傾向を示す一例なのである。

令和に生きる我々は、おそらく支配的な思想などとは無縁に生きている。現代人としての通念といったものはあるかもしれないが、通常それを意識することはない。

しかし、小林が執筆活動を行っていた昭和は思想的に激動の時代である。マルクス主義は言うまでもないことであるが、民主主義や戦後の西洋思想の流入など、知識人をはじめとして、日本人の頭は思想の摂取で大忙しだったのである。

その思想の摂取活動の特徴を取り出してみるとすれば、それは唯物論的な、科学万能の価値観への迎合であったと言ってもいいだろう。ここには頭脳的認識における、合理性と効率性への希求が見られるのである。

さて、我々にとっての科学には二面性がある。片面では、科学とは複雑なものであると思われている。それは専門家の存在とか、数学や物理における難解な数式に代表されている。科学の世界は一般人の理解を超えたものであり、その習得には然るべき教育が必要であるとするのが、科学の複雑性の側面である。

もう片面では、科学とは単純なものである。それは、科学が何を求めているかという問題に繋がっている。

例えば、経済学では経済を需要と供給の二要素から理解しようとする。その見方の基本的な部分はそう難しくはない。実際、我々は義務教育の内に経済学の基本的な認識を学んでいるのである。

これは、社会(あるいは自然)のモデル化である。実際の社会(自然)の内における諸要素の相互作用は複雑過ぎて人間の手に余るかもしれないが、その中から特に重要なものだけを抜き出してモデル化すれば、我々の認識はよりシンプルに、かつ使用価値のあるものになるという考え方がそれである。

だから、科学が目指しているのは、現象をよりシンプルかつ明快に理解することと、それによって何らかの目的を達成することの二点なのだと言うことができるであろう。言うまでもなく、一般人と科学との接点はこの部分にある。

嘘発見器の使用とは、一般人にまで下りて来た、科学のシンプルかつインスタントな使用の一例である。このこと自体は、何も批判すべきことではないかもしれない。そもそも、それ自体が科学の目指すべきところなのである。一般人が嘘発見器を便利に利用するからといって、我々に何が言えるだろうか。

が、小林は中々痛いところを突いてくる。

考えるとは、合理的に考える事だ。どうしてそんな馬鹿気た事が言いたいかというと、現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。

どうやら、小林には、嘘発見器の問題は、安易な形で、良心の在処の問題を揮発させてしまうものに思われたようである。

いや、ある意味、嘘発見器の存在は、良心の在処の問題を解決してしまっている。それは生理的反応にあるのである。そして、嘘発見器は警視庁にあるとすれば、良心とは警視庁に握られている何かなのである。

我々が思考において能率を上げられるとすれば、それはその考え方が社会通念上一般的であり、それに対して我々が何の疑問も持たないのでなければならない。こういう時には、我々は考えているようであっても、実は出来合いの考え方をなぞっているだけに過ぎない。これを図式主義と言えるだろう。

嘘発見器によって良心が外部化され、警視庁の存在を中心に、それが社会化されることによって、我々はもはや良心について、個人的な実感を込めて思考することはできなくなる。誰も良心が自分で感じて、初めて理解できるものだとは思わない。人が良心について語る時、それはもう社会通念をなぞっているに過ぎない。

これを「大げさ」として見過ごさないのが、批評家としての小林である。

良心とは本来情である。理智ではない。小林は本居宣長を登場させつつ、そう指摘している。そして、それは「個人の「感慨」のうちにしか生きられ」ないものであると言っている。ある意味、常識的な考え方である。

が、こういう考え方は侮られがちである。良心が情であるとすれば、それは主観的なものに過ぎない。人間の行動原理は客観的な倫理がそれを統率するべきで、その外部的表現が嘘発見器だとすれば、その方がよほど信頼に足る、と。

まさしく、思想万能のイデオロギー的な考え方である。私はその考え方を完全には否定しないつもりであるが、人間とは、客観的な認識や行動原理によって、世界に存立しているものなのであろうか。

本居宣長によれば、情とは「はかなく、女々しき」ものなのであるが、情には明確で固定的な輪郭というものがないから、その特性から、世界の方へにじみ出ていって、水が馴染むようにそれと調和していくような傾向がある。それは、果たして、個人的な実感に過ぎない、思考上のブレやムダに過ぎないものなのであろうか。

嘘発見器が個人的な意味での良心を奪う、と言えば、確かに大げさかもしれない。しかし、我々の世界認識において、頭脳的な性質が際立つ一方、個人的な情の世界は軽視されがちであるという事実は、決して大げさではない。

そして、その頭脳的な性質が一般的に到達する地平は、安易な図式主義に過ぎないと言うこともできるであろう。小林はそれを甘さと見ているように、私には思われる。

我々は、知らず知らず、何もかも明らかであると高をくくってはいないだろうか。その反面、我々は曖昧とも言える内部世界を軽視し、社会通念が語る外部世界の実情を客観的事実として、徒らな固執を見せてはいないだろうか。

世界とは理解するものではなく、感じるものであると言ってみよう。通念的な行動律の下でお互いを理解し、共同生活の上で能率を上げていくことばかりが、現代人としての誇りなのであろうか。安易な図式主義が錯覚させる知性の行き着く先を、我々は本当に信頼できるだろうか。

 

3. 参考文献

小林秀雄「良心」『考えるヒント』(文春文庫)

 

4. 関連記事

最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございます。

小林秀雄に関して、別の書評記事があります。併せてご覧下さい。

【書評】小林秀雄「歴史」の解説寄りの感想です。