1.「桜の樹の下には」について
この作品は1928年に『詩と詩論』において発表されました。
梶井がこの作品に着手したのは前年のことで、まだ伊豆・湯ヶ島の温泉宿で療養生活を送っていた頃のことでした。
梶井は28年には一度上京し、その後、大阪に戻っています。
この作品は「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という着想について語っており、この種の迷信的なものの元となっているようです。
梶井と言えば「檸檬」ですが、この作品は誰が呼んでも「檸檬」と同じくらい楽しめる作品だと思います。必ずしも人を選ばない良作です。
この頃、梶井はボードレールに親しんだらしく、確かに梶井の作品としてはやや異色の味わいがあるようにも思われます。
1928年というと「冬の蠅」を発表した頃で、梶井の心理生活としては更に絶望に傾き出した頃です。
この作品にも絶望に近い心理が語られているとも言えますが、語り口にはユーモラスな部分がないとは言えず、梶井自身楽しんで書いたのではないかと私は推測します。
様々に楽しめる作品なので、是非読んでみて下さい。
2.「桜の樹の下には」のあらすじ
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。
語り手の「俺」は「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という発見について「お前」を相手に語っている。「お前」とはおそらく、桜の美しさが信じられないで不安だった二三日の間の「俺」のことである。
どんな樹の花でも満開の頃は、どこか神秘的な印象を与えるものであるが、「俺」を陰鬱な気持ちにしたのも、まさにこのことだった。しかし、「俺」はやっと、その気持ちからおさらばすることができた。
馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
「俺」はこれを「美しい透視術」と言う。
このような幻視に成功して初めて、「俺」は「あの桜の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑め」るような気がした。
3. 書評
この作品を「檸檬」の一つの変奏であると言う事も、あるいは許されるであろう。
桜の樹の下には屍体が埋まっている―この着想から「黄泉」に連想を繋げていくことは容易いようだが、我々が理解せねばならないのは「黄泉」そのものではない。
桜の樹の下に屍体が埋まっているように、作者の魂も掘り起こしていけば、そこに死者の腐乱を見ることができる。現世と黄泉とは風穴により繋がっていると言うが、何が作者にとり風穴であったのか。
「これは言うまでもなく近代知識人の頽廃、或いは衰弱の表現であるが、(尤も今日頽廃或いは衰弱の苦い味をなめた事のない似而非(えせ)知的作家の充満を、私は一層頽廃或いは衰弱的現象であると考えている)、この小説の味わいには何等頽廃衰弱を思わせるものがない。」
よく知られているように、「檸檬」の主人公は「えたいの知れない不吉な塊」に心を圧迫されながら、京都の街を彷徨していた。小林秀雄はここに「近代知識人」特有の病弊を見るのである。
そして、それに対する「似而非(えせ)知的作家の充満」という表現に、小林秀雄の選び抜かれた「近代知識人」としての自負を読んでもいいだろう。
梶井の「橡(とち)の花」にこんな一文がある。
俗悪に対してひどい反感を抱くのは私の久しい間の癖でした。そしてそれは何時も私自身の精神が弛んでいるときの徴候でした。然し私自身みじめな気持になったのはその時が最初でした。梅雨が私を弱くしているのを知りました。
ここには、まさに近代知識人の「衰弱の表現」を見ることができる。梶井は「衰弱の苦い味」をこの時まさになめているのである。小林秀雄の批評は何よりもまず、同種の人間に対する共感なのである。
そして、彼ら同士をして、一流の「近代知識人」足らしめたのは、彼らの青年期を特徴付けたある種の苛烈さである。言うまでもなく、彼らの苛烈さは彼ら自身の感覚する世界の絶対性に由来している。
同じく「橡の花」の中に、
友はまた京都にいた時代、電車の窓と窓がすれちがうとき「あちらの第何番目の窓にいる娘が今度自分の生活に交渉を持って来るのだ」とその番号を心のなかで極(き)め、託宣を聴くような気持ですれちがうのを待っていた―そんなことをした時もあったとその日云っておりました。そしてその話は私にとって無感覚なのでした。そんなことにも私自身がこだわりを持っていました。
友の語る青春の回想は、そのまま主人公の回想であったとして、何ら不思議ではないように思われる。しかし、主人公は「こだわり」を持っていて、友の話には「無感覚」だったと言っている。ここに、主人公の自身の感覚世界に対する、ある種の頑迷さを読むことができるであろう。
頑迷さはそのまま自負となり、苛烈さとなり、彼らの美の世界は稲妻の如き攻撃性と共にいよいよ美しさを増してゆく。一方で、獣のごとき自負は心身を衰弱させ、苛烈さはそのまま弱さに反転する。
作者は「桜の樹の下には」の冒頭に近い部分でこう書いている。
どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い浮んで来るのか―
かつて美と共にあった攻撃性は、いつか作者の心身を穿っていた。それが作者にとり風穴であった。ここから黄泉の腐乱した臭気が漏れ出し、作者の眼は陰の気に冒され黄泉に沈むのである。
この渓間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯や四十雀(しじゅうから)も、白い日光をさ青(お)に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。
付け加えておくと、創作に近い頃、梶井はボードレールに親しんだらしい。言われてみれば、ここに見られる作者の美意識は『悪の華』的でもある。実際、梶井が自身の美意識を「苛烈な陶酔」として描いたことは、私の知る限りでは他にない。
桜の樹の下には屍体が埋まっている―作者の内では、満開の美しい桜は高天原の女神たちの姿と結びつくことはなかった。作者はむしろ、桜の姿に自己を見出そうとした。それは青空に匂う花弁から冷たく湿る地下へと視点を転じることで可能になった。
梶井基次郎の文学は偏(ひとえ)に作者の感覚の鋭さによって、その輝きを保証されていると言えよう。これだけの感覚を集めるためには、作者の内では絶え間ない精神の緊張が必要であったと想像できる。
その緊張を繋ぐ呪具的な役割を果たしたのが「黄泉」であった。しかし、言うまでもないことであるが、梶井基次郎の作品はおどろおどろしい陰の文学ではない。絶望を語っていても、そこに朝露のように澄んだ真実の印象を与えてしまうのが、彼の文学の特徴なのである。
まるで桜だ、とここに来て私は思う。なるほど、梶井基次郎の文学とは青空に匂う満開の桜なのである。そして、その下には屍体が埋まっている。
今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。
苛烈な自意識によって感覚の魔術を開いた作者は、その代償として、匂い立つ美しさの裏側に黄泉の臭気を忘れないことを自己に課すのである。
4. 参考文献