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小林秀雄「当麻」解説&感想

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今回は小林秀雄「当麻(たえま)」の解説と感想です。

日中戦争及び太平洋戦争の間、小林秀雄は何度か大陸に渡っていて、その紀行文を書いたり、また、内地含め各地で講演したりしていました。

今回の作品は、その戦時中に書かれたもので、後に『無常という事』という一冊に収めれた連作の一つです。

その連作は「当麻」(1942年)から始まり、「無常という事」、「平家物語」、「徒然草」、「西行」、「実朝」(1943年)と続きます。

これらは日本古典を題材としたものであり、荻生徂徠らの儒学者や、本居宣長などを題材にした戦後の作品へと向かう、小林の関心の方向性を示したものと言えます。

なお、小林は戦時中、戦争に言及した文章を少なからず書いていますが、これらの連作中に戦争の影を認めることはできません。

この記事では、始めに能の曲目の一つである<当麻>について概説した上で、小林の作品の解説と感想を書いていきます。ぜひ、ご覧下さい。

また、小林秀雄の生涯についてご興味のある方は、以下の記事も併せてご覧下さい。

 

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1. 能「当麻」について

小林秀雄は、ある日能楽堂で「当麻」の舞台を見たようですが、今回の「当麻」はその時の経験を振り返って書かれています。

能は観阿弥・世阿弥父子によって大成されたものです。

世阿弥の時には、室町幕府の将軍・足利義満の保護を受け、優遇されました。が、後には冷遇の憂き目を見ることにもなったらしく、義教の時代には世阿弥は佐渡に流されています。

その世阿弥晩年の傑作の一つが「当麻」です。以下はそのお話です。

ある念仏の行者は紀州・熊野三山へ詣でた、その帰り路、奈良の二上山の麓にある当麻寺を訪れた。時節は二月の十五日、釈迦入滅の日であった。

そこには老尼と若い女性とがいた。その老尼が語るには、次のような逸話が寺にはあるらしい。

すなわち、中将姫(歳の頃で言えば、少女)が以前、生身の阿弥陀様を拝みたい一心で称賛浄土経を誦し、この寺に籠ったのであるが、阿弥陀様は果たして、化尼の姿で現れて下さったのだそうだ。

阿弥陀様が蓮の茎を集めよと言うので、中将姫はその通りに、蓮の糸を得た。その糸を池の水で濯ぐと、糸は五色に染まった。そのため、その池を染殿の井と言う。

また、五色に染まった糸は、寺前の桜の木に掛けて乾かしたのだという。

その後、また若い女性が現れた。これは観音様が顕現したものらしい。観音様のお力であろうと思われるが、当麻寺に伝わる当麻曼荼羅は、その五色の糸を用いて完成したものだ。

逸話を語り終えた老尼は、我らこそがその阿弥陀仏と観音菩薩であると明かし、紫雲に乗って二上山の向こうへ隠れ去った。

この後、門前の男に読経を勧められ、また奇瑞をもう一度とも思う念仏僧が、その奇瑞を待っていると、虚空に花が舞い、どこからともなく音楽が鳴り響いた。

今度は、中将姫の精魂が現れたのだ。

中将姫は今は極楽浄土にいて、阿弥陀仏を称える聖衆のお一人になっていた。中将姫は僧に、阿弥陀経をただ一心に読み上げるべきことを説く。

中将姫は舞い、まさに法悦の境を目の当たりにするようだ。しかし、やがて春の夜は明けて、ほのぼのとした朝がやって来るのだった。

お話は以上です。一応断っておくと、若干当麻寺の縁起から肉付けしているので、能の曲目「当麻」の筋書きは、もう少し簡潔です。

私が参考にした資料の解説では、「歌舞の菩薩となって遊舞する中将姫の精魂の崇高な宗教性と音楽性も出色」で、「静謐な中にみなぎる凛とした爽やかさと気品が全曲を貫く」と評価されています(『新日本古典文学大系:57 謡曲百番』)。

小林秀雄がこの能に<感応>したのも頷ける、優れた作品であることが、この評価からも伝わってくるようです。

 

2. 解説&感想(「当麻」)

①破られた「夢」

梅若の能楽堂で、万三郎の「当麻」を見た。

僕は、星が輝き、雪が消え残った夜道を歩いていた。

作品の冒頭部分です。能自体は友人の中村光夫と見たのですが、冷たく澄んだ夜を一人歩いている小林の姿が目に浮かぶようです。

その夜を振り返って、小林は「何故、あの夢を破る様な笛の音や大鼓(おおかわ)の音が、いつまでも耳に残るのであろうか。夢はまさしく破られたのではあるまいか」と言っています。

小林は「夢」と言っていますが、これは実は、夢幻の能の世界を夢と言っているのではなくて、私たちの日常的な生活感覚の方を「夢」と言っているようです。

例えば、小林なども能に引き込まれていく前は、念仏僧の演者の一人を、麻雀が上手そうな顔をしているなどと、他愛もないことを思っていたのだそうです。

私たちが普段考えたり、感じたりしていることは、中々他愛もないことばかりであると思うのですが、それは私たちにとって当たり前で、だからこそ、普段は特別疑うこともなく、世界はこうだ、私はこうだ、と言って済ましていられます。

ただ、小林は「当麻」を目の当たりにして、自分を覆っていた被膜に針が刺さり、それが弾けて外の空気に接した、つまり「夢」を破られたようです。

翻る白い袖、金の冠、中将姫の真っ白い足袋、笛の音、鼓の音。これらは「夢」を破りましたが、これらを、小林は「世阿弥という詩魂」と呼んでみて、そのことに自分で驚きを感じています。

膜の、すなわち「夢」の向こう側に何があったのか、小林自身も完全に説明することは出来ませんし、またそれは不可能だと感じているはずです。例えば、小林は「無常という事」で、以下のように述べています。

解釈を拒絶して動じないものだけが美しい、これが宣長の抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ。

だから、膜の向こう側の世界とはすなわち何か、これを秩序立てて説明する欲求を小林は持っていないと思われます。

ただ、一応言える事と言えば、それはもちろん能の世界なのであって、小林には「世阿弥の詩魂」と感じられたものです。

あるいは、世阿弥の<精神>と言うべきかもしれません。その精神から離れないところで能の美というものが遊んでいる、そんなイメージを私は「世阿弥の詩魂」という言葉から得ました。

小林のこの体験において一番衝撃であったのは、能が美しいという、ただその発見のみにあったのではなく、その奥の方に世阿弥の姿らしきものを予感した、ということだったと言えると思います。

とはいえ、それは一瞬の暗示であったように思われ、作中で小林が語っている驚きは以下のようなものです。

音楽と踊りと歌との最小限度の形式(...)そして、そういうものが、これでいいのだ、他に何が必要なのか、と僕に絶えず囁いているようであった。

単純な舞いと、笛と鼓の音と、歌とがそれぞれ、思い思いに動いているかのように感じられるにも関わらず、そこに一つの世界への入り口が開かれているということは驚くべきことだと思います。

中心に指揮者がいて統率の下にある管弦楽であっても、その音楽の美の世界を説明することは簡単ではないと思いますが、能の世界の美の、それもその成り立ちを説明するとなると、更に困難であると感じられます。

その代わりに、私たちはもしかすると、小林のように、その能の世界の奥の方に「世阿弥の詩魂」を見て、解釈不能を実感するのかもしれません。

 

②現代人の表情

小林が「当麻」の舞台で感じていたのは、能が美しいということばかりではなく、何やら奇妙な感覚も得ていたようです。

というのも、その正体が阿弥陀様である老尼の、目出しの頭巾から覗いているお面の目鼻が、どういうわけか「仔猫の死骸めいたものが二つ三つ重なり合い、風呂敷包みの間から、覗いて見える」といった具合に感じられたのだそうです。

小林はこれを「馬鹿々々しい事だ」と言っており、覗いて見える目鼻も「念の入ったひねくれた工夫」だと決めつけて、突き放そうとしています。しかし、結局、小林は「化かされていたとは思えぬ」という結論を捨てられません。

その「仔猫の死骸」が何を意味しているか、例えば、私がイメージしたのは、俗世の渇いた風に身骨を傷ませた、不吉とは言えないが、半ばは死の世界の住人であるような老婆でした。

印象に印象を重ねて説明になってないですが、ただ、老尼のある種異様な感じが「仔猫の死骸」という死のイメージに繋がっていることは間違いないと思います。ただ、この辺りは読解上重要な部分ではありません。

重要なのは、その老尼の目鼻には引き付けられるが、その場に集まった観客たちの顔はどうしてこうも退屈であるのか、と小林が言っていることです。

この場内には、ずい分顔が集っているが、眼が離せない様な面白い顔が、一つもなさそうではないか。どれもこれも何という不安定な退屈な表情だろう。

それでいて、「お互いに相手の表情なぞ読み合っては得々としている、滑稽な果敢無い話である」と小林と続けています。

その少し後のところで、小林はルソーの『告白』について触れ、この本に実は隠されている「女々しい毒念」に当てられたことが、現代人の表情が詰まらないことの原因であるように語っています。

ここで「女々しい毒念」とは、ごく単純に考えれば、近代以降の人間が持つ自己主張の欲求のことと言えるでしょうか。ただ、<自己説明>と言った方が分かり易いと私は思っています。

すなわち、私たちは新しい社会に所属したり、別の社会に属する人間と接したりするために、常に<自己説明>の必要を感じ、また実行しているということです。

それは当然のことであって、良い悪いの問題ではないのですが、私たちは気を付けていなければ、そこに多少の虚栄を持ち込んでしまいがちなものです。この虚栄は、私たちを過度に能弁にすると言えます。

文中から「女々しい毒念」を察する手がかりは特にないのですが、更に想像を膨らませて言えば、その「毒念」とは、<自己説明>によって他者・社会をねじ伏せる欲求のことだと、私は捉えています。

私たちにとって<自己説明>は正直に言えば重荷です。出来ればやりたくない。だからこそ、他者にあれこれ詮索させないために過剰な<説明>を用意する。ねじ伏せるというのは問いを封じるということです。

ただ能楽堂に集まっただけの観客に「女々しい毒念」の害を見るというのは、言い過ぎなような気がしないでもありませんが、私たちは<自己説明>が好きではないし、本当は嫌いなんだと考えてみることは重要です。

私たちは社会で上手くやっていくために<自己説明>するのですが、それが自分自身の本来の力の解放を助けてくれているか、それは一概には言えません。

本質的に重要なことは自分の精神力で立つことであり、<説明>によって意地を張ることではありません。それは、一見強さに見えるのですが、実はその人の最高の状態ではなく、弱い状態なのだと、むしろ言ってあげるべきでしょう。

だから、小林が「何という不安定な退屈な表情」という時、私は<自己説明>によって衰弱した現代人の弱々しい表情、という様に解釈します。どれだけ意地を張ろうと、気が散ってばかりいるので、精神の充実がないのです。

反対に、精神の充実を示す存在が能楽堂にはいます。それは、例えば中将姫を演じる演者のことです。以下の文章をここで確認しておきましょう。

現に目の前の舞台は、着物を着る以上お面も被った方がよいという、そういう人生がつい先だってまで現存していた事を語っている。

能を演じるには「お面も被った方がよい」という部分が重要です。ここで、お面は人間の弱々しい側面を封じ、精神の力の充実を助ける働きをしています。演者は<彼>であることから解放され、自由に舞うことを許されるのです。

人間はお面を被るというただそれだけのことによって、精神の充実を得ることが出来るのだという事実は、中々驚くべきことです。翻って、私たちは<自己説明>し続けるために、いかに自己を弱めているものなのでしょうか。

これは、先ほども引用した「無常という事」中の一文です。すなわち、「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」。

これは、人間も同じことです。あらゆる説明を拒否する根源的な精神の力が信じられなければ、「世阿弥の詩魂」というものも信じることができないでしょうし、不可視の世界を感受する力も半ば封じられてしまっているのかもしれません。

 

③美しい「花」

以下の一文は、この作品中最も引用され、有名な部分です。

美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。

小林秀雄らしい、やや謎めかしたような主張で、普通は「花の美しさ」というものだってあるように感じるものです。

ここで「花」とは、植物としての花と捉えてもいいですし、世阿弥の用語法で「花」とは「美」の意と捉えてもいいかと思います。

この一文がいかに謎めかして見えようと、整理して考えれば、実はそれ程難解な主張ではない、と私は思います。

小林は「『花』の美しさという様なもの」はないと言うのですが、これは、観念論のことを言っているのだと捉えることができます。観念論とは、あるいはある美学的説明のことと言えるでしょうか。

もちろん、能の美学というものは考えられるのであって、それに意味がないなどとは私は思いませんが、美学の方ばかり美しく見えていても仕方がないのだと、小林は考えているのだと思います。

つまり、小林にとって重要なのは、常に目の前にある作品、翻る白い袖、金の冠、中将姫の真っ白い足袋、笛と鼓の音のことなのです。これらに直接触れ、「夢」が被れるような体験をすることが、小林にとって決定的なのです。

そのような体験をさせてくれるのは、目の前にあるものだけです。「美しい『花』がある」と小林が言うのは、以上のような感覚を持っているからです。

私たちは「美しい『花』」を見て感動し、場合によっては感想を言葉にします。その感想の言葉が理論的な形を取ったものを、美学と言っていいかもしれません。が、感想にせよ美学にせよ、それは言葉の世界に属するものです。

一方で、「美しい『花』」は常に目の前に存在し、この現実的対象との接点が人間の内面を揺さぶり、それが感動と感じられてきます。小林が常に意識していたのは、この対象との現実的な接点です。

私たちにとって、「美しい『花』」を目の前にする時、重要なのは鑑賞の方法を他人の言葉から引っ張ってくることではなくて、自分と対象との接点を確かに持つということです。そうでなければ、見ている意味がないとも言えます。

対象との接点を持ち、容易に言語化できない内面的動揺や感動を得ること、これが鑑賞において決定的に重要なものであり、私たちの精神や教養を養ってくれる貴重な体験であると言うことができます。

優れた美学は、このような豊かな接点からちゃんと生まれてくるものなので、そのような意味で、私たちにとって価値あるものですが、私たちは取るに足らない他人の感想であっても、中々先入観として頭に入れがちなものです。

小林が批判する観念論とは、ごく簡単な意味では、そのような先入観のことだと言えると思いますが、例えば「徒然草」でも、小林はこんなことを言っています。

すなわち、吉田兼好の随筆「徒然草」の、その名前は後世に誰かが付けたものだと思われますが、その名前がいかに先入観となって、兼好の言う「徒然」という言葉の意味合いを理解し難くしているものか、と小林は指摘しているのです。

兼好の言う「徒然」と、私たちの頭の中にある「徒然」の意味合いが微妙に異なるのであれば、私たちは目の前にある「徒然草」を読んで、その観念を修正しなければならないのですが、「『徒然草』という文章を、遠近法を誤らずに眺めるのは」難事であると小林は言っています。

すると、以下のような一文も理解し易くなってくるのではないでしょうか。

肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遥かに深淵だから

文学や芸能に触れる際の、私たちの感覚は実は自分自身で思っているより微細で、意識に上がってこないものをも含めれば、驚くべき程多くのものを感じ取っているのかもしれない、そう考えてみる必要があると思います。

そうして自分の感覚に対する自信や興味が増せば、自然と美学的説明よりも、自分自身の実体験の方が重要になってくるものと思いますが、とはいえ、努力しなければ、小林秀雄だって、ふと観念的な状態になってしまうようです。

ああ、去年の雪何処に在りや、いや、いや、そんなところに落ちこんではいけない。僕は、再び星を眺め、雪を眺めた。

能で研ぎ澄まされた精神も、「去年の雪何処に在りや」という観念で、また「夢」に戻ろうとしてしまう。しかし、星と雪とが小林の眼を覚ましてくれる。精神が目覚めている時間を、私たちは何よりも惜しむものなのです。

 

3. 参考文献

小林秀雄「当麻」他『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫)

若松英輔『小林秀雄 美しい花』(文芸春秋)

細谷博『日本の作家100人 人と文学 小林秀雄』(勉誠出版)

佐竹昭広『新日本古典文学大系:57 謡曲百番』(岩波書店)

中将姫さまと當麻曼荼羅 | 當麻寺 中之坊と伽藍堂塔 -奈良県 葛城市-

 

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