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【解説】高校生でも分かる!谷崎潤一郎「陰翳礼讃」~陰翳に「吸い込まれる」感覚とは?

谷崎潤一郎「陰翳礼讃」のイメージ画像として濃い色の椿

 

今回は谷崎潤一郎「陰翳(いんえい)礼讃」です。

この記事はRinの<高校生でも分かる!>シリーズの第7回目です。高校生のみなさんが作品を理解するお手伝いを目標にしています。

解説は作品を読んだことがなくても理解できる内容ですので、気軽にお読み下さい。

さて、谷崎潤一郎と言えば、ちょっと妖気を感じさせるような、美的な内容の小説を書いている作家です。「春琴抄」や「痴人の愛」ですね。しかし、今回解説していく作品は小説ではなく随筆(エッセイ)です。これまでは、一部の国語教科書にも掲載されていたようです。

この随筆は比較的読みやすい部類に属すると、私は思います。

ただ、確かに、日本家屋の構造だとか、日本料亭だとか、漆や蒔絵だとか、なじみのない私たちにはイメージのつきにくいものが語られている箇所が多いので、そこで分からなくなってしまうことはあるかもしれませんね。

とはいえ、谷崎が結局何を言いたいのかに注目して読んでいけば、細部は無視しても読み解いていけるでしょう。

今回の解説は、読んだことのある方には内容の整理として、これからの方には予習としてご覧頂ければと思います。

 

1. この作品のテーマを整理しましょう

この作品のテーマは、日本人の色彩感覚、あるいは日本人の美的感覚についてです。色彩感覚と言うと、赤とか青とか黄色といった、具体的な色をイメージされるかもしれません。しかし、この「陰翳礼讃」で語られているのは「陰翳」です。

難しく考えることなく、「陰翳」とは「陰」のことです。しかし、それは単純に色や光の濃淡のことなのではなく、言わば、「闇の底にある色彩」です。

 

2. 一つのキーワードで解説!

私が「陰翳礼讃」の読解の鍵として設定する言葉は「吸い込まれる」です。

谷崎は日本人の色彩感覚を「陰翳」という言葉で表現しているのですが、「陰翳」に対する日本人の感覚の秘密は、私たちの「吸い込まれる」という感覚にあると、私は思います。

このことは、私の言葉ではなく、谷崎の文章から分かりやすい部分を引用した方が理解しやすいかもしれません。

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹(ようかん)の色を賛美しておられたことがあったが、そういえばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光を吸い取って夢みる如きほの暗さを啣(ふく)んでいる感じ、あの色合いの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。(※括弧内は私の補足)

他の箇所では、谷崎は玉(東洋的な宝石)とか和紙とか漆の汁椀などを例に挙げて説明しているのですが、ここで引用した羊羹の説明には、作品の理解上、重要な要素が全て含まれているように思われます。

まず、羊羹が暗い色をしていることは、みなさんもお分かりになると思います。

しかし、よく見ると、羊羹の表面の色は暗いというよりも半透明で、あずき色の、暗くて重い色調はその内部の方にあるのだと言えます。すなわち、羊羹の色は表面上のものではなく、深さがあって成立する色合いなのです。

そして、羊羹の深い色合いは、暗くて湿っぽいのではなく、淡い光を吸収して、どこか温かみのあるもののように感じられます。谷崎は「奥の方まで日の光を吸い取って夢みる如きほの暗さを啣(ふく)んでいる感じ」と言っています。

言われてみれば、その温かみのある暗さは、まるで「夢みる如き」気持ちを誘うものとも思われます。同じ引用の中では、谷崎は「瞑想的」と言っています。

ここで重要なのは、深さと吸収に対する感覚です。深さは深い質感と言えば分かりやすいでしょうか。深さは光などを表面的に反射するのではなく、それを吸収して、含んでくれます。

すると、自然と内側の方から、暗いとも優しいとも言えない光が漏れ出します。日本人には、そのような光に対する感受性があるのだと、谷崎は言っているのです。

光の吸収と表面的な反射に関して、谷崎は日本人的な色彩感覚と西洋人的な色彩感覚との対立という文脈で説明しています。引用を見てみましょう。

同じ白いのでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は、柔らかい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。

この部分に続けて、

西洋人は食器などにも銀や鋼鉄やニッケル製のものを用いて、ピカピカに光るように磨き立てるが、われわれはああいう風に光るものを嫌う。我々の方でも(…)銀製のものを用いることはあるけれども、ああいう風に磨き立てない。かえって表面の光が消えて、時代がつき、黒く焼けて来るのを喜ぶ(…)

西洋的なきれいさは、光の表面上の反射という風に理解することができて、ピカピカとそれ自体輝いているように見えるものが好まれると言えるかもしれません。

しかし、谷崎の論に沿えば、日本人は表面上の光を好んでいるわけではなく、深いところで、それがぼんやりと放射している光を感じて、そこに趣を感じるのです。

谷崎は様々なものに言及して、「陰翳」について説明してくれていますが、その説明は全て深さと吸収に注目していけば理解することができます。

そして、最初のキーワードに戻りますが、日本人が「陰翳」を理解できることに理由があるとすれば、それは私たちの中に、「吸い込まれる」という感覚に対する敏感な感受性や愛着があるからだと思います。

おそらく、みなさんもその同じ感覚を持ったことがあるだろうと思います。

そして、「吸い込まれる」という感覚と、その奥にある色彩への感覚は、日本美術一般を鑑賞する上でも重要になるものと思われます。美術と言いますが、何でもない生活用品や、お地蔵さんとか山の草花など、あらゆるものを含みます。

そうであれば、谷崎の「陰翳礼讃」は、私たちにとって、誰にでも分かる、日本美術鑑賞へのやさしい手引きとして、大きな価値を持ち続けるに違いありません。

 

3. 私のコメント

最後に「闇」について補いましょう。実は、闇は動くものです。それは、ものの周りに集まってくるのです。

そこに、闇の持つ深さが生まれます。ものは深みに包まれて、包まれて、奥の方で息を潜めます。

漆の汁椀とか、日本の白い食べ物(かまぼこ等)とか、そういったものは闇の深みの中にあってこそ、本来の美を発揮するのだと、谷崎は言います。

日本的な色彩には、闇の中で映える「質感」があるのだと言えるかもしれませんね。

 

4. 参考文献

谷崎潤一郎「陰翳礼讃」『谷崎潤一郎随筆集』(岩波文庫)

この記事の引用は全て上記「陰翳礼讃」によるものです。

 

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