この記事では、芥川龍之介「一塊の土」の解説と感想を書いていきます。
なお、作者の生涯についてご興味のある方は、以下の記事を併せてご覧下さい。
1. 解説&感想(「一塊の土」)
この作品は、芥川が関東大震災の翌1924年に発表したものです。リアリズム作家の正宗白鳥の称賛を受け、芥川は非常に喜んだそうです。
正宗白鳥は、この作品を読んで、作者の姿を忘れて登場人物の生活に思いを巡らすことができたといった趣旨のことを言っています。
とはいえ、作品中に芥川という作者の影が全くないかと言うと、実際はそうではないと言うべきと思います。
倅が死んだ後のお住の心理を「悲しいとばかりは限らなかった」と説明している冒頭部分などを見ても、他の作品と同じく、芥川自身による心理の説明によって読者を導く傾向は変わりません。
この作品中で、お住一家の生活の中心となっているのはお民で、意見らしい意見を持っているのはお民だけとも言えるため、読んでいると、何となくお民が主人公であるような気もしてきます。
しかし、この作品の主人公は、やはりお住であると考えるべきだと思います。半ば主人公不在の作品のようにも見えますが、お住を中心に置くことによって、見えてくることがあると思います。
お住は倅の仁太郎(にたろう)の母親ですが、仁太郎は茶摘みの始まる頃のある日に亡くなってしまいます。仁太郎が働けない身体であったため、妻のお民が野良仕事(畑仕事のこと)を一人で行っていました。
先ほども言及したように、お住はいつも床についていた仁太郎が亡くなると、悲しいとばかり感じるのではなく、何か見通しが開けたような気持ちになったようです。
ここで、お住を「後生よし」の人物、すなわち、普段から行いがよいと周囲に思われていた人物とすることによって、倅が死んでも悲しいばかりではなかった事実を、芥川は意地悪く指摘しています。
お住が「後生よし」であるというのは、ほとんど、そう書かれているというだけのことであって、具体的にどういうことなのかは分かりません。むしろ、現代人には、お住は受動的で村的な後進性を表しているようにも見えます。
その一端は、仁太郎が死んだ後、お住が最初に気にしたのが嫁のお民のことで、お民に従弟の与吉を当てがって、一家を立て直そうとしたことに見られます。
お住は決して、強権を振るって、無理やりお民に与吉を受け入れさせようとしているわけではないのですが、このお住の計画は、現代人の自由の感覚には反していて、感情移入し辛いところです。
結局、お民は再婚せずに、何年もの間一人で畑仕事をして、一家の生活を成り立たせることに成功しています。それだけでなく、多少の蓄えもできたようでした。
お民は仁太郎生存中から畑仕事を一人でやっていたので、畑仕事のために婿をもらう必要は必ずしもありませんでしたし、博打をするような与吉なぞは貰わない方がよほど利巧だったとも言えるでしょう。
では、なぜお民は再婚しなかったのかと言うと、それは息子の広次のためとか、あるいは不毛の山国から移住してきた「渡りもの」の血のためといったように説明されているのですが、必ずしも説得的ではありません。
結局、お民の頭の中には、「働くのが厭になったら、死ぬより外はなえよ」の一言があるに過ぎないと言うこともできるでしょう。お住が最後に嘆いているように、お民の心は「情ない」のかもしれません。
可愛そう、可愛そうではないという基準で作品を読むのは子どもらしいことかもしれませんが、ある意味、お住を可愛そうと思えないことには、この作品は単なる前近代的な生活の不合理のお話以上の広がりを持たないでしょう。
お住の村的な後進性は読者の気持ちを冷めさせるかもしれません。しかし、お住が孫に向かって、お民のことを「おばあさんのことばっか追い廻して」いると糾弾している場面も、実は故なしのことではないのだと、私は思います。
というのも、お民は「稼ぎ病」で、「働くのが厭になったら、死ぬより外はなえよ」という厳しく、冷めているとも言える考えを持っているのに対して、お住はそうではないからです。
お民が一人で畑仕事をしているのに対して、お住は留守仕事が辛いので、解放されるためにお民に婿を取ることを勧めている様は浅ましく見えるかもしれません。
しかし、これを浅ましいとばかり言っていると、人間の生活は厳しくなり過ぎてしまいます。むしろ、おばあさんになったら辛いことはなくなって、楽ができるようになって欲しいものではないでしょうか。
倅の仁太郎が亡くなったから、嫁に従弟を婿にやるという発想は、現代人には理不尽にも思われるのですが、世間も親戚も、それをおかしいこととは思っていません。それが当たり前だったのです。
この当たり前が退けられてしまったがために、お住は何年もの間、留守仕事を辛くても続けなくてはいけませんでしたし、世間はお民を褒めるばかりの上、お民はお住の仕事は当然のことくらいにしか思っていません。
つまり、お住は「気ばっか無暗と強」い<お民の当たり前>に付き合わされて、おばあさんなのに容赦なく働かされていると読むことができるのです。お民は畑仕事には精を出すのですが、お住のことは全く考えていません。
お住の言う如く、お民は「心はうんと悪な人」なのかもしれません。しかし、お住のために婿を貰わなければならないというのも理不尽な話なので、読者は解答不能の問題に悩まされることになります。
これは、芥川の家族観が原因しているのかどうかは分かりませんが、お住、お民、息子の広次との間には、一家としての温かい一体性が見られないところに、私は問題の核心が見られるように思います。
仁太郎が亡くなった後も、お民が家に残るのか、出ていくのかという問題について、お住は恐る恐る探ることしかできず、お民の方も、お住とは冷静に距離を取っているようにも見えます。
広次は十二歳くらいにはなっているというのに、母親のお民が世間に立派と思われていることに対して、それが本当か嘘かも自分では分かっていません。おそらく、母親のことはよく分からなかったのでしょう。
広次は母親のためという考えも、祖母のためという考えも持たず、お住の希望としては曖昧な存在ですが、それは広次の責任というよりは、一家の団結を教えられていない家庭環境の問題だと思います。
すると、再びお住の問題が復活してきて、仁太郎は足掛け八年もの間寝たきりで、その間常にお民が働いて来たのですが、その家庭環境において明確な役割も持たず、仁太郎が死んだ後に何か見通しが開けたように思ったお住は、やはり受動的で、あまりに考え無しであるようにも感じられます。
お民が気が強いので、お住はやや引っ込んだ存在でしかいられなかったのかもしれませんが、この一家は同じ屋根の下にいるだけで、それ以上の関係であったと言えるのかどうか分かりません。
最後の場面では、お住は「お民、お前なぜ死んでしまっただ?」と思わず口にしているのですが、これは単純な悲しみの言葉ではなく、むしろ、お住の受動性を裏付けている台詞のように私は思います。
すなわち、結局のところ、お住にはお民に婿を当てがうという手段でしか、明確な生活の方針を得ることが出来なかったのです。それが不成功に終わったため、結局、お住はお民を生活の指針にする他ありませんでした。
お住は仁太郎もお民も自分自身も、「情ない」人間のように感じ出してしまっているのですが、「情ない」のはやはり、人間というよりは生活の方だと作者は考えているのかもしれません。
作品の最後は、「お住は四時を聞いた後、やっと疲労した眠りにはいった。しかしもうその時にはこの一家の茅屋根の空も冷やかに暁を迎え出していた。......」と結ばれて終わっています。
どれだけ疲労して眠りに就こうとも、朝は毎日同じ時間にやってきて、日が昇れば働かなければならないという、生活上の事実に対する悲哀がここに読めます。お住を「追い廻して」いるのは、お民ばかりではありません。
せめて家族関係に温かいものがあれば、と感じるのは私の感想に過ぎませんが、人間のすることは完璧ではあり得ず、その事実が積もり積もって、生活の理不尽として感じられてくる部分があるのかもしれません。
2. 参考図書
芥川龍之介「戯作三昧・一塊の土」(新潮文庫)