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白樺派・有島武郎の代表作「生れ出づる悩み」の解説的感想です。

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1. 有島武郎「生れ出づる悩み」の感想

今回は白樺派の代表的作家・有島武郎の「生れ出づる悩み」を読んだので、その感想を書いていきたい。あらすじと解説を含むため、有島武郎や「生れ出づる悩み」に興味のある読者はぜひご一読されたい。その上で実際にお手に取られても、この記事の内容で満足して頂いても、私としては幸いである。

この作品は有島が1918年(大正7年)に発表したものである。有島が本格的に作家生活に入るのは、1910年に『白樺』が創刊され、その同人として活動を始めて後のことである。そのため、有島は武者小路実篤や志賀直哉らと共に文学史上「白樺派」と呼ばれている。有島の兄弟は芸術家としての才能を揃って備えていたらしく、弟の生馬や里見弴もこの同人に参加している。

しかし、彼がこれまで以上の精力で次々と作品を発表し始めたのは1917年からのことである。有島はその前年、妻と父とを失っているが、どうやらこれが一つの転機となったらしい。有島が作家としての地位を固めたのは、この頃のことであった。有島は妻の結核感染を機に作家としてだけではなく、人間としての転機を迎えたようであるが、その辺りの事情は前回の「小さき者へ」の記事を参照されたい

有島は先に「小さき者へ」を発表していたが、これは母親を失った有島の3人の幼い子供たちが、一人前の大人になった後に読むことを意図して書かれた、言わば父から子への手紙である。一般的な形式の小説作品ではなかったのであるが、今回の「生れ出づる悩み」も一般的な小説形式とはやや異なる書き方がされている。

この作品では基本的に、語り手の「私」が「君」へと呼びかけるような形で、「君」について回想したり、「君」の生活を想像したりしている。「君」とはこの作品の主人公とも言える木本という青年のことである。

語り手の「私」は創作上の主観であると考えるべきかもしれないが、作者自身であると捉えても間違いではなさそうである。と言うのも、「君」(以下、木本)には木田金次郎という現実のモデルがいるのである。「私」と木本との関係は全くの創作というわけではなく、有島と木田との関係が反映されている。

木田金次郎はこの作品の舞台である北海道・岩内出身の画家である。作中の木本が内心絵描き志望であるが、生活の問題で漁業を行うことになることなど、木田がそのままモデルになっていることが分かる。木田は北海道を代表する洋画家であり、岩内には近代的で立派な木田金次郎美術館がある。

ここで少し作品の内容を見ていこう。以前、「私」は札幌で生活を送っていた。有島自身も青年時、当時の札幌農学校で新渡戸稲造に学んでいるが、「私」の札幌の住まいは農園に囲まれていたらしい。そこに、ある日突然、一人の少年が訪ねてきた。これが木本である。

木本の印象はあまり良いものではなかった。「私」はその時の彼を、「少し不機嫌そうな、口の重い、癇(かん)で背丈が伸びきらないと云った」少年と回想している。木本は始めからどこか嘲笑的あるいは自閉的な空気を纏っていたのである。

そんな木本がなぜ唐突に「私」を訪ねてきたかというと、彼は「私」に絵を見せにやってきたのである。もちろん、木本自身の描いた絵である。彼は座につくと、「私」の前で風呂敷を開いて水彩画や油絵を広げた。

なぜ木本がわざわざ「私」を選んで絵を見せたのかは分からない。「私」は文学者ではあっても、絵描きではなかったからである。だが、これは現実の有島と木田との関係を反映しているようだ。というのも、有島の絵の腕はかなりのものだったらしく、有島の絵に感銘を受けた木田が彼を訪ねることで、二人の親交が始まったのである。

木本の絵を見て、「私」はすぐに彼の才能を見抜いたようである。いや、彼の絵の技巧は一見して修練を積んでいないことが明らかだったようであるから、基本的な画力に驚かされたわけでは決してない。そうではなく、おそらく、木本の筆致から同じ芸術家としての目を感じ取ったのであろう。「私」は彼の絵には「不思議な力が籠って」いたと回想している。

どうやら、木本は自分が画家としてやっていける才能があるかどうか、「私」の判断を仰ぎたかったらしい。とはいえ、「私」は絵描きではないから決定的なことは何も言わないまま、木本は絵を片付けて帰って行った。彼は東京の学生であったらしいが、事情があって地元・岩内へ戻った。

それから十年間、「私」は木本がどうしているか知らずにいた。が、ある日彼からスケッチ帖が送られてきて、それをきっかけとして、二人は札幌で再会した。

十年ぶりの木本はすっかり姿形が変わっていて、「私」は「え、木本君!?」と驚きの声を上げている。背の低かった木本はすっかり筋肉のついた大男に変じていた。これは彼が岩内に戻った後、父と兄と共に厳しい漁労生活を送ってきたからである。

さて、木本の生活は厳しいが、ごく稀に暇があると、山を眺めに行くのだという。

逢う人は俺(お)らの事気違いだというんです。けんど俺ら山をじっとこう見ていると、何もかも忘れてしまうです。(…)山がしっくり俺ら事引きずり込んでしまって、俺ら唯(ただ)惘(あき)れて見ているだけです。

不機嫌そうで口の重い、都会の言葉を話す木本はそこにはいない。彼は十年間の漁労生活で、おそらくは本来の気持ちのいい青年に変わっていた。そして、以上のように語る木本の芸術家としての意識は、言うまでもなく有島が理想とし、信奉すらしていると言ってもいい芸術家的感覚なのである。

先の「小さき者へ」が有島の3人の子供たちへの激励であるとすれば、「生れ出づる悩み」は地球上にまだ芽を出さずに堪(こら)えている芸術家たちへの、惜しみのない精神的な声援なのである。「私」と木本との再会の後には、「私」が想像する、木本の厳しい漁労生活の叙述が続くが、この作品の主題は単純な生活苦の記述なのではなく、潜伏する芸術家たちへの共感であると言えるだろう。

有島の執筆の動機は、この作品の冒頭と最後の部分を見れば明らかであるように思われる。まず、冒頭の言葉から見てみよう。場面の詳細は不明であるが、どうやら、木本との十年ぶりの再会の後、その札幌の住まいの一室で原稿用紙に向かっているようであるから、木本との再会に刺激されて一気呵成に書きあげたのがこの作品である、という体裁なのではないだろうか。

この作品は以下のような言葉で始まっている。

私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。ねじ曲ろうとする自分の心をひっぱたいて、出来るだけ伸び伸びした真直ぐな明るい世界に出て、そこに自分の芸術の宮殿を築き上げようと藻掻いていた。それは私に取ってどれ程喜ばしい事だったろう。

そして、「私」は、心の奥底の炎を燃やそうとしても燃えてくれず、燻り続けるような時はどれだけ苦しく惨めであっただろうか、と続けている。

以上の引用からも明らかなように、有島の関心は芸術あるいは芸術家としての生活にある。そして、芸術と現実生活との間に一線を引き、芸術の世界に独立した価値を見出しているようにも読める。このような価値観の展開を、有島は木本の芸術家としての才能と、その障害になる厳しい漁労生活との対立という形で、力強く、あるいは執拗に行っているのだと言えよう。

有島の芸術観ないし創作上の理想を知る上で重要だと思われるのは、「私」が「自分の芸術の宮殿」を、「ねじ曲ろうとする自分の心をひっぱたいて、出来るだけ伸び伸びした真直ぐな明るい世界に出て」築き上げようと意欲している部分である。

先の引用は容易に「芸術至上主義」のような印象を与えるものであるが、芥川が傾いていたような悪魔的なそれとは異なることが、この部分から分かる。「私」の芸術観は明るく、平和的である。だから、「私」は自身の心が「ねじ曲ろう」とする時には納得のいく創作ができず、煩いなしに伸び伸びとしているとき、満足な創作が可能であると肌感覚で理解しているのであろう。これは、そのまま有島の創作上の理想であったに違いない。

このような芸術観がこの作品の背景にあるのであるが、この作品のより具体的な動機は作品の最後の言葉に凝固している。少し長いが引用してみよう。

そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じい疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。(…)

ほんとうに地球は生きている。生きて呼吸している。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生れ出ようとするものの悩み――それを僕はしみじみと君によって感ずる事が出来る。それは湧き出て跳(おど)り上る強い力の感じを以て僕を涙ぐませる。(…)

君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春が微笑めよかし……僕はただそう心から祈る。

この力強い激励には、また強い感傷が伴っている。この感傷は、「私」が木本の厳しい漁労生活を想像する長い描写の中で度々示していた「淋しさ」や「悲しさ」に裏打ちされているようである。「私」は木本の生活を讃嘆する一方、厳しい人間の生活を悲しいものと感じているのである。

木本が絵描きとしての生活を望み、自身に才能があるか否かで一喜一憂を繰り返している一方、現実の漁労生活は彼から絵を描く望みを奪い続けている。このような苦しみへの共感は、ある意味有島自身への慰めでもあるように思われる。いくら芸術の独立的価値を認めようとも、現実の生活を成り立たせなければ生きていかれないのは人生の絶対的法則と言ってもいい。

ただ、この最後の激励を投げる「私」あるいは作者の立ち位置は微妙である。敢えて有島と言うが、彼は依然創作における意欲の波のようなものから自由ではなく、燻る自分に苦しんでもいるはずなのであるが、言葉の上では、彼は芸術家として、一歩より自由になった立場にあるようである。

この一歩、あるいは半歩現実から遊離した地点からの視点に、有島の理想主義的な思想の特徴があるように思われる。有島は決して空理空論を述べているわけでもなく、人間の問題を独断で片付けてしまっているわけでもないが、人間の苦しみをそのまま描き出すことに徹しているわけでもない。作家としての有島は半歩先の理想的な未来にいるものと言えようか。

芥川や太宰を知る我々は苦悩を苦悩として描き切る中に、真実の、弱く美しい人間を見出すことに慣れているのかもしれず、ともすれば有島の「半歩先」の視点は虚構に過ぎないように思われるかもしれない。しかし、その「半歩先」には有島の内面的・外面的生活が充実しているのである。

私はこの作品の重要な部分、すなわち木本の漁労生活についての描写について何も書くことができなかったが、冗長になることを避けて、ここで筆を止めようと思う。木本の乗る船が転覆し九死に一生を得る場面や、無意識の内に断崖から飛び降りようとしてはっとする精神状態など、思わず息を飲まされるのであるが、それは読者が直接作品を手に取られ、読まれることを期待するに止めておこう。

もしかすると、有島武郎は難しいのかもしれない。それは、有島の「半歩先」が完全な現実でも非現実でもなく、有島自身が選び取った生き方だからである。だから、これは心理や生理の問題を超えて、意志の問題なのだろう。我々はなかなか意志の問題となると素直に楽しめないものであるが、有島の文章はそれ自体優れているし、一読の価値があると自信を持って言うことができる。

 

2. 参考文献

有島武郎「生れ出づる悩み」『小さき者へ・生れ出づる悩み』(新潮文庫)

 

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