この記事はカフカ「変身」がつまらない・意味が分からないという読者のための、作品のフォロー解説です。
この作品は比較的分厚い作品ではないので、手に取りやすいのですが、その反面、作者が何を言いたいのか分かりにくいですし、グレーゴルの家族の態度など、読んでいて気分がよくない部分もあります。
そのため、少なからぬ読者が「変身」をつまらない・意味が分からない作品と評価するのも頷けるものと思います。
ただ、この記事の目的は、決して全ての読者に「変身」を面白いと思ってもらうことではありません。それはとても無理なことで、どれだけ「変身」を読み込んで理解したとしても、やはりモヤモヤする部分は残るでしょうし、そういう意味で、万人受けする作品とも思えないからです。
とはいえ、内容がよく分からないままに、何となく後味が悪いままではせっかく読んだ意味も薄く、時間の無駄だった、と感じやすいものです。
この記事のフォロー解説を読んで頂くことで、最低限、「変身」を一度読んでみた意味はちゃんとあった、くらいに思って頂ければ幸いです。
1. 「変身」のあらすじを簡単に
この記事の読者は一度「変身」を読んだことがあるとは思いますが、せっかくなのであらすじを簡単に確認しておきましょう。
ある朝目覚めると、グレーゴル・ザムザは「馬鹿でかい」虫になっていた。声を出してもピーピー鳴るばかりで、人間の言葉は話せないようだ。
グレーゴルは布生地のセールスマンだったが、出張ばかりの辛い毎日を送っていた。というのも、5年前に父親が倒産して、グレーゴルが代わりに働いて、借金を返さなければならなかったからだ。グレーゴルは父母と妹との4人暮らしだが、家計の全ては彼の稼ぎにかかっていた。
グレーゴルが突然虫になり、働けなくなると、家族は動揺した。だが、仕方なく自分たちが働いて、どうにか稼いでいくようになると、グレーゴルは段々邪魔な存在になってきた。
ある時、家族は、グレーゴルが自分たちの負担になることに、もう決して耐えられないことに気が付いた。確かに、グレーゴルは家族がもっと安い家に引っ越しすることを妨げていたのである。
グレーゴルはある日父親に投げつけられたリンゴが身体に食い込んで、しかも全然食事を摂らないようになったので、段々衰弱した。家族がグレーゴルのいる生活に限界を感じた次の日、グレーゴルは死んでしまった。死んだ時、グレーゴルはカラカラに干からびていた。
その日、家族は仕事を休んで、郊外へ散歩に行った。ふと見ると、ずっと青白い顔をしていた妹のほっぺは、年頃の娘らしく生き生きしていた。両親は彼女もそろそろ結婚する年頃だということに気が付き、これからの生活に希望を感じた。
2. 「変身」がつまらない・意味が分からない理由
解説の前に、なぜ「変身」がつまらない・意味が分からないのか、そのポイントを整理してみましょう。
①虫になる意味が分からない!
グレーゴルは、「ある朝、不安な夢から目を覚ますと」、「馬鹿でかい虫」にかわってしまっていました。
人間がある朝突然虫になってしまうという設定自体、意味が分からず、つまらなく感じる読者は少なくないようです。
もし、「変身」が分かりやすくフィクション作品で、作中で虫になった理由や、虫の暗示するものがはっきり示されていれば、人間が虫になるという設定も受け入れられやすかったのでしょうが、この作品は虫になるという設定以外はリアルです。
どうやら、この作品の一つの評価ポイントは、虫になるという荒唐無稽な設定にも関わらず、虫になってからのグレーゴルが淡々とリアルに描かれている、というところにあるらしいです。
そういう部分が評価されているということと、一般の読者がそれを面白いと感じるかどうかは別で、というより、だから面白いと感じる読者は少ないでしょう。
普通は設定が突拍子もないからこそ、その設定の意味を理解したくなるのですが、この作品はグレーゴルが虫になった理由を明らかにする、という筋ではないので、少なからぬ読者が、意味不明な設定の作品を読まされてつまらなかった、といったような微妙な読後感を抱くのではないでしょうか。
②グレーゴルに対する家族の態度が不快!
この作品の最大のつまらないポイントは、とにかくグレーゴルに対する家族の態度が不快、というところではないでしょうか。全ての読者が家族の態度を不快に思うかどうかは分かりませんが、この部分を不快に感じる読者には、「変身」はとても救いのない作品に感じられるでしょう。
グレーゴルは父親が倒産してしまったので、代わりに働いて、借金を返しながら、家計を一人で支えています。
そのグレーゴルが虫になってしまい、働けなくなってしまったので、家族は狼狽して仕方なく働き始めるのですが、自分が働いてみて、改めて今までのグレーゴルに感謝するといった描写は一切ありません。むしろ、虫になったグレーゴルは邪魔者です。
これまで一人で頑張ってきたグレーゴルに対する想いが全く感じられないのも読者をモヤモヤさせるポイントですが、そもそも、馬鹿でかい虫になってしまったとはいえ、襲って来るわけではないですし、それを近づくのも嫌、目に入れるのも嫌、といった態度しか取れない家族に、イライラさせられる読者も多いでしょう。
なんともみみっちい感じのするこの家族は、卑近過ぎて、逆にリアルではないとも言えるのではないでしょうか。あるいは、リアルかもしれませんが、リアルであってほしくはないと、読者に感じさせるのでしょう。
そういう意味で、無駄に卑近でリアルで、イライラする登場人物を見せられて、つまらない無益な作品だったと感じさせられることもあるだろうと想像できます。
③最初から働いておけ!
グレーゴルが虫になり、働けなくなると、家族は狼狽しつつも働き始め、一応の生活を成り立たせていきます。
そして、グレーゴルは段々と邪魔者になっていくのですが、だったら、もっと前から自分たちも働いて、もう少し負担を分散させておけばよかったのではないでしょうか。
一応言っておくと、倒産した父親は気が落ち込んでいたでしょうし、母親は喘息のようなので身体が弱く、妹は父親が倒産した5年前などは小さすぎて働けなかったという事情はあります。
妹はともかく、父親と母親は何かしらできることがあったと言う他はありません。若くはないのでみっちり働かなくてもいいですが、自分たちは働けないから働かなくてもいい、息子は若いから働いていておかしくはない、というようには考えてほしくはないものです。
せめて働いて帰ってくるグレーゴルには何かしらの想いがあってほしいのですが、最初は「特別なぬくもり」が感じられた給料を手渡す瞬間も、段々と事務的になってきてしまっていたようです。
両親がグレーゴルに全く感謝していなかったとはもちろん言えませんし、愛情がなかったとも言えないでしょう。ただ、息子が頑張って働くことに対する違和感というものはこの人たちにはおそらくないので、そういう点でも、現代っ子には理解し難い部分があると言えます。
④結末が後味悪過ぎる!
この作品の結末は、全体を無視すれば愛情溢れるもので、これまで青白い顔をしていた妹の顔が生き生きとしているので、両親はそれをみて、彼女もそろそろ結婚かと、前途に希望を感じるというものです。
ただ、それはグレーゴルが死んだからで、グレーゴルの方に感情移入してきた読者にはなかなか理解し難いものです。そもそも、家族の方に感情移入して読む読者はあまりいないと思うので、彼らのハッピーエンドなど、どうでもいいとも言えます。
読者は可愛そうなグレーゴルがどうなるかとページを捲ってゆくのに、結局邪魔者扱いされながら衰弱し、カラカラに干からびて死んでいくグレーゴルを見せられるだけではなく、これまでイライラの対象だった家族が急に生き生きし始めるので、なんだか理不尽なだけでなく、滑稽ですらあるように感じさせられます。
救われなければいけないグレーゴルは結局邪魔者として死んでいき、彼に愛情を向けるべきだったと思われる家族だけが、グレーゴルから解放されて、希望に向かっていくという非対称性は、この作品の理不尽さの原因になっていると言えるでしょう。
3. 「変身」のフォロー解説
さて、ここでカフカ「変身」がつまらない・意味が分からないという読者のためのフォロー解説を行っていきます。
この作品が「つまらない」というのは、ほとんど「意味が分からない」というのと同義だと思うので、少しでも理解できる部分が増えれば、この作品も面白いと感じられるのかもしれません。
ただ、記事の冒頭でも述べた通り、このフォロー解説の目標は、とりあえず「変身」を一度読んでみた意味はあった、くらいには思って頂きたいなというところです。
作品を理解することが必ずしも面白さに直結するとは言えませんが、実は「変身」は完全に荒唐無稽で、淡々と描かれているだけの作品なのではなく、なかなか密度の濃い意味を含んでいるということが少しでもお伝えできれば幸いです。
①グレーゴルは100%の頑張り屋さんではない!
おそらく、ほとんどの読者が、グレーゴルは頑張り屋さんだと感じるでしょう。頑張り屋さんは報われるべきだと感じるのが当然なので、より一層、この作品の結末は理不尽で受け入れがたく、つまらないと感じられやすいのだと思われます。
ただ、グレーゴルは100%の頑張り屋さんではありません。例えば、グレーゴルが虫になって、ベッドの上で最初に考えたことは、
どうしてこんなにしんどい職業、選んでしまったのか。(…)くそっ、こんな生活、うんざりだ。
ということでした。おそらく、父親が倒産して、グレーゴルが営業マンとして働き始めた当初は、こんな愚痴なんて言うグレーゴルではなかったのでしょうが、この時点ではグレーゴルにもかなり限界が来ていたことが分かります。
グレーゴルはなかなかやさぐれてきているので、仕事にいけず、社長にクビにされるかもしれないと考えた時も、「しかしそれも悪くないかも。両親のためにがまんしないでいいのなら、とっくの昔にやめてたからな」と言っています。
確かに、グレーゴルは家族想いのように描かれてもいて、
がまんして、できるだけ気をつかおう。そうやって、家族にはこの不愉快な状況を耐えてもらうしかない。なんといっても、こんな姿になって不愉快な思いをさせちゃってるんだから。
といった台詞からも、グレーゴルが自分よりも家族を優先する人物であるように思われます。読者には、グレーゴルがとてもいい子であるように見えるのです。
一方で、こんな台詞もあります。これは、虫になった最初の朝、両親やマネージャーが部屋の鍵を開けさせようとグレーゴルを急かしている場面です。
すぐに服を着て、生地のサンプルをバッグに詰めて、出かけるからね。父さんも、母さんも、そうしてほしいんだろ? ところで、マネージャー、いいですか、私、がんこ者じゃないですよ。働き者なんだ。
これは、一見グレーゴルの従順さを表しているようにも読めますが、実はそうとばかりは言えません。むしろ、この台詞はグレーゴルの不満の表し方を特徴付けているものと考えられます。
つまり、グレーゴルは仕事にも行きたくないし、虫になって自分も焦っているのに、自分のことを考えてくれず、鍵を開けろと急かしてくる両親とマネージャーに対して、直接的に文句は言わないものの、敢えて言われた通りにすることで、グレーゴルなりに怒りを表しているのです。
もしかすると、グレーゴルはもう、純粋に家族のために頑張ろうというエネルギーで出張ばかりの毎日を乗り切っていたのではないのかもしれません。そうではなく、怒りがグレーゴルを何とか誤魔化してくれていたのかもしれません。
②グレーゴルが虫になった理由
先に見て頂いた通り、グレーゴルは100%の頑張り屋さんではなく、かなり我慢の限界を迎えていたようです。要するに、相当怒りを貯めていたようなのですが、グレーゴルの怒りの表し方は直接的ではなく、間接的です。
例えば、グレーゴルは部屋が段々きちんと掃除されなくなり、汚れていったので、掃除を引き受けていた妹に対して抗議するために、「とくに汚れがひどい場所に陣取る」という手段に訴えました。
そもそもグレーゴルは喋れないので直接文句を言うことはできないのですが、例えば以下のような他の台詞、
妹のやつ、気がつくかな、ミルク、そのままにしてるの。それも腹がへってなかったからじゃない、って? ほかの食べ物、もってきてくれるかな。口に合うやつを。妹が自分からそうしてくれないのなら、妹に気づかせたりするより、飢え死にしたほうがましだ。
このような、ちょっと子どもっぽい意志表示をするグレーゴルの性格を考えると、虫になって喋れないからということは関係なしに、グレーゴルは分かり難い、間接的な怒り方をする人物なのだろうと想像することができます。
このグレーゴルの怒り方の特徴は、グレーゴルがなぜ虫になったのかという疑問に答える上で重要になってきます。
すなわち、グレーゴルは虫になることで、自分だけが働かなければいけないという現状に対する怒りを表明しているのです。それは破滅的な上に、間接的で、誰もグレーゴルが怒っているのだとは気が付きませんが、これがグレーゴルのやや子供っぽい復讐のやり方なのです。
グレーゴルにはヒロイックなところもあり、働き始めた当初は、両親に給料を手渡しする時の「特別なぬくもり」を力にしたり、余裕はないのに妹を音楽学校に入れてあげようと考えたり、若干妄想的な頑張り方をする人物です。
そのようなちょっと現実離れしたポジティブさと、段々と事務的になっていく出張ばかりの毎日に対する不満がせめぎ合って生まれた、内心の負の感情の塊が、「馬鹿でかい虫」というグロテスクな姿に投影されていると言えるでしょう。
③「変身」は理不尽じゃないという視点
頑張り屋さんで家族想いなグレーゴルが邪魔者扱いされて死んでいき、家族の方はグレーゴルから解放されて希望を感じる、という結末が理不尽であることは言うまでもないことでしょう。
グレーゴルは明らかに自分ばかり頑張ることが辛くなっていて、少し屈折してはいるようですが、可愛そうな自分に対する優しさを求めているように読めます。
例えば、
でもな、みんなが声をかけてくれもいいじゃないか。父さんも、母さんも、「がんばれ、グレーゴル」って声をかけてくれてもいいじゃないか。(…)息をのんで自分の奮闘が見守られていることを想像して、グレーゴルはありったけの力をふりしぼり(…)
やはり、グレーゴルは少し子供っぽい部分があり、ヒロイックな前向きさで頑張れている時はそれも強みなのですが、ネガティブになってくると、ちょっと、どうしてあげればいいのか分かり辛くなってきます。もちろん、グレーゴルは優しくされたいのでしょうが、どう優しくすればいいのか、それは難しいところです。
とはいえ、グレーゴルは感謝されたり、優しくされたりするべきだ、という気持ちは多くの読者が抱くはずなのですが、この作品の結末はグレーゴルに与えるべきものを与えずに終わっているので、どうしてもモヤモヤ感が残ってしまうのです。
しかし、ここで敢えて、この作品の結末も理不尽ではないかもしれないという視点を持ってみると、だから「変身」が面白くなるとは言えませんが、内容の理解はより多面的になってくるかと思います。
さて、この作品の結末が理不尽ではないということは、そもそもグレーゴルが虫になったこと自体、例えば両親のせいなんかではなく、自分自身が原因しているのだという理解の仕方をするということです。
よく考えてみると、グレーゴルが一人で頑張らなければいけない状況を作ったのは、実はグレーゴル自身です。
グレーゴルは父親が倒産するとすぐに営業マンになって、借金を返しながら家計を支えられるようにしました。それは、もちろん非難の余地のないことで、現実的に必要なことを引き受けた大人のように思われます。
しかし、しばしば言及している通り、グレーゴルは子どもっぽいヒロイックさで、やや妄想的な頑張り方をする人物です。ある意味、勢いがある時はエネルギー過剰なくらい頑張れるのでしょう。それが、後々自分を苦しめることになったわけです。
すなわち、最初に120%引き受けたことが、段々事務的になり、辛くなってきてしまったわけですが、自分では現状を変えることができず、内心の怒りを直接的に表すこともできないまま、グレーゴルは虫になって間接的に怒りを見せつけるという、破滅的な意思表示をしてしまったのです。
ただ、少々厳しく考えると、自分から120%引き受けたことが後々辛くなったからといって、相談して調整してもらうならともかく、辛くなってきた途端に被害者のような気持ちになって、怒りを貯めていくというのは、あまり大人の精神ではないように思われます。
それに、家族は結局、グレーゴルが働けなくなっても、自分たちで働いて、最終的にはこの先の生活に希望を感じることだってできました。グレーゴルの120%は、家族にとって絶対必要なものではなかったようですし、それぞれの活動の可能性を、グレーゴルは奪っていたとも言えます。
家族はグレーゴルが120%で頑張るので依存していましたが、実は、彼らは依存しなくても生きていく潜在力があったわけで、その可能性を封じていたという意味では、グレーゴルはそもそもやり過ぎで、邪魔者であったと言えます。
突然虫になるということは、グレーゴルにとって怒りの間接的表明だったかもしれませんが、それは同時に、家族内におけるグレーゴルの存在の微妙な意味合いを浮彫りにしました。
そのように考えてみると、あながち、グレーゴルだけが可愛そうで、ただただ理不尽なだけの作品、とは言えないことになります。
4. さいごに
以上、カフカ「変身」がつまらない・意味が分からないという読者のためのフォロー解説を行ってきました。
結局、この作品の後味の悪さは表面的なものではなく、作品を理解した上でも、やり切れなさは残るように思われます。
私は「変身」が好きですが、気持ちよく読めるかと言うと若干疑問があります。よくよく考えてみると誰も悪くないようにも思えて、それだけにやり切れないデッドエンドのようにも感じられます。
この作品は一見荒唐無稽ですが、やはり、内容の密度は濃いようです。それは、カフカが自分の内面を源泉として作品を書いていたからだと思います。
もし、「変身」をもっと理解したいという読者がいらっしゃれば、目の前の作品だけを意識して理解しようとするのではなく、カフカがどういう人物であったのかに注目してみると、また新しい発見があるかもしれません。
内容に重複はありますが、以前に書いたカフカ「変身」の解説記事があります。よろしければ併せてご覧下さい。
5. 参考文献
カフカ「変身」『変身/掟の前で 他2編』(光文社古典新訳文庫)
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